テンプル騎士団とジャック・ド・モレーの呪い

不思議な話
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テンプル騎士団は、1120年ごろエルサレムで誕生した修道士結社である。

彼らのおもな仕事は、ヨーロッパから聖地へ訪れる巡礼者たちを護衛することだった。

このテンプル騎士団は、フリーメイソンやイルミナティと関係があるとされている謎の多い組織である。

この記事では、テンプル騎士団に関する以下の件についてご紹介する。

  • テンプル騎士団とは
  • テンプル騎士団の生き残りがフリーメイソンを作った?
  • テンプル騎士団が今なお存続している証拠
  • ジャック・ド・モレーの呪い
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テンプル騎士団とは

 

簡単な年表
1120年頃テンプル騎士団が創設される
1128年騎士修道会として認可される
1139年教皇以外のすべての支配の服従から解放され、法的免除と特権が与えられた
1307年テンプル騎士団は異端者認定を受け、悪魔崇拝を自白させられた
1312年「ヴォクス・イン・エクチェルソ」を発動し、テンプル騎士団は解散

テンプル騎士団は、第1回十字軍の終了後の1120年頃にフランスの9人の騎士により創設された。

正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち」だった。

創設から数十年で組織は拡大していき、教皇やヨーロッパの君主たちから支援を受けるほどのキリスト教結社となった。

クレルヴォーの聖ベルナルドゥス

Bernard of Clairvaux - Gutenburg - 13206.jpg

聖ベルナルド修道院長教会博士 image:wikipedia

1128年、シトー会修道院長のクレルヴォーの聖ベルナルドゥスの尽力もあって、テンプル騎士団は騎士修道会として認可されることとなった。

彼は当時、全キリスト教徒の代弁者でもあり、「第2の教皇」とも呼ばれていた人物。

テンプル騎士団メンバーが従う掟や清貧の誓いなどを考案したのも、このベルナルドゥスであった。

私有財産を持たないとする「清貧の誓い」により、経済的にも裕福になっていったテンプル騎士団は権力を手に入れ、十字軍遠征後にはその影響力はさらに増大していった。

ローマ教皇イノケンティウス2世

Pope Innocent II – Santa Maria in Trastevere

インノケンティウス2世 image:wikipedia

1139年には、ローマ教皇イノケンティウス2世がテンプル騎士団は教皇の命令以外は聞かなくても良いとして、すべての支配の服従から自由にし特権を与えたため、法の規制を一切受けることがなくなった。

そのため、テンプル騎士団は暴利をむさぼる高利貸しとなり、ヨーロッパ君主たちを経済的に支配するようになっていった。

テンプル騎士団は法的免除を利用して、極秘の会議や儀式を開き、ビジネスを展開していたとされる。

その会議で「悪魔崇拝の儀式」が行われていたのか、それとも「金融戦略会議」が開かれていたのかは、いまだに議論の的になっている。

フランス王フィリップ4世と教皇クレメンス5世の陰謀

フランス王フィリップ4世と教皇クレメンス5世は陰謀を企て、テンプル騎士団を壊滅に追い込んだ。

フランス王フィリップ4世はテンプル騎士団に多額の借金があり、教皇クレメンス5世も金と権力でヨーロッパ中にその勢力を拡大させていたテンプル騎士団を煙たがっていたのだ。

テンプル騎士団を異端者認定し悪魔崇拝を自白させた

Philippe IV le Bel

フィリップ4世 image:wikipedia

1307年10月13日、フィリップ王は異端の罪でテンプル騎士団を拘束すると金品財産を没収し、悪魔崇拝をはじめ魔術、十字架踏み、入会儀式での不自然な性交の強要(ソドミー)などの蛮行を拷問により自白させ、不当に罪をかぶせた。

「ヴォクス・イン・エクチェルソ」を発動しテンプル騎士団は解散

Clemente V cappellone degli Spagnoli

クレメンス5世 image:wikipedia

1312年3月22日、テンプル騎士団は教皇クレメンス5世による教皇勅書「ヴォクス・イン・エクチェルソ(天の声)」を食らい、正式に解散した。

テンプル騎士団の生き残りがフリーメイソンを作った?

Aigle-SC-GCREAA

双頭の鷲 image:wikipedia

これまで、フリーメイソンはテンプル騎士団の生き残りにより結成されたと言われてきた。

テンプル騎士団の解散後、メンバーの多くはヨーロッパからの圧力がかからないスコットランドに逃げ延びたとされる。

テンプル騎士団は消滅しておらず、フリーメイソンに属しながらも独立した組織として活動を続けているという噂がある。

フリーメイソンに見られるテンプル騎士団の痕跡

フリーメイソンの儀式の一つである「スコットランド儀礼」は、スコットランドに逃げたテンプル騎士団のスタイルを受け継いだものだと考えられている。

フリーメイソンの中にテンプル騎士団の残党が潜伏していると言われるのは、組織の位階や儀式の一部に、テンプル騎士団のものと思われる痕跡が残されているからだ。

彼らは今も、権力のすべてを手放さず、ふたたび表舞台に出ていくチャンスをうかがっているのだ。

テンプル騎士団が今なお存続している証拠

 

テンプル・リサーチ協会は、CIRCESインターナショナル(国際文化精神研究団体)という謎めいた組織の一部で、非営利の友愛慈善団体だ。

設立趣意書には、「テンプル・リサーチ協会は騎士道に献身する団体である」と書かれており、その真偽は不明だが、この協会に疑惑を抱いているオカルトマニアもいるという。

ジャック・ド・モレーの呪い

Templars on Stake

火刑に処される騎士団員 image:wikipedia

1314年3月19日、テンプル騎士団、最後の総長ジャック・ド・モレーは火あぶりで処刑された。

彼は死の直前、テンプル騎士団壊滅の陰謀を企てたフィリップ王とクレメンス教皇の2人に呪いの言葉を残した。

「お前たちも、年内にあの世に行くだろう」と。

その言葉どおり、教皇は5週間後、王は8か月後にこの世を去った。

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コウ

どうも、コウです。
すこぶる天然な妻と二人で暮らしております。
もともと、パソコン修理のカスタマーエンジニアをしていました。
機械いじりやネット関係、謎が謎を呼ぶ不思議な事や妄想する事が好きなので、そのジャンルの情報発信と日常の中で埋没しがちな素朴な疑問を拾い上げ考察します。
えるたそ~と同じで「私、気になります病」を発症しています。
最近、埋もれた何かを掘り起こすとか、闇に葬られた何かとか、治りかけのカサブタを引っぺがすような記事が書けたらいいなと考えています。
要するに、すべてはエンターテインメントである。

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