八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)は、千葉県に存在する禁足地である。
理由は分からないが入ってはいけない、もしくは以下のような理由により立ち入ることが禁じられている場所のことを禁足地という。
- 法律
- 物理的な危険
- 宗教的な理由
- 地域の伝承
普通に生活していれば滅多にお目にかかることはないかも知れないが、そのほとんどが神社の敷地内にあったりと神聖な場所とされていることが多い。
また、禁足地として知られるだけあって、一度足を踏み入れると「神隠し」や「祟り」に遭い、2度と出てこれないばかりか、最悪の場合、命を失うという言い伝えもあるようだ。
今回は、そんな禁足地として有名な「八幡の藪知らず」に関するエピソードをご紹介。
- 八幡の藪知らずについて
藪知らずに入った人はどうなるのか
八幡の藪知らずは足を踏み入れてはならないという「禁足地」とされる場所だが、そんな場所に偶然、もしくは意図的にも入ってしまった人はどうなるのか?
分からないなら自分で入って確かめた方が早いと考える者や、禁止されると余計にやりたくなるというカリギュラ効果が発揮されてしまうからなのか、どこの世界にも人間のサガに逆らえない者たちが一定数存在するものだ。
ネット上で禁足地に入った経験があるという人たちの話には次のようなものが見られた。
- 特に何もない。あるとすれば施設の職員に注意されるぐらい
- 耳鳴り、頭痛、寒気などの原因不明の体調不良に襲われた
①特に何も起きない
神職の方の話によると、神域に入っただけでは特に障りや祟り的なものは何も起きないという。
実際、神社仏閣などの神職や職員は掃除や手入れをするために神域と呼ばれる場所に入ったりしている。
また、わざわざ悪さをするために神域に入るものは居ないので、入っても別に何も起きない。もし入ってしまって職員の方に注意を受けてしまったら素直に謝ろう。
②体調不良に襲われた
次は禁足地に入ったら「耳鳴り」や「頭痛」、「寒気」などの原因不明の体調不良に襲われたという相反する意見だ。
神社の禁足地は神聖な領域でパワースポットになっているその一方で悪霊よりも恐ろしく霊媒師も近づけない場所だという。
あえて中二病的な表現をするなら、神域には呪術的な防御結界のような何かが存在しており、穢れの侵入を決して許さない。汚れを払う効果があるといった感じだろうか。
とにかく、悪ふざけや肝試し気分で無暗に禁足地に入ったりするのはやめた方が良さそうである。どうでもよいことだが、霊媒師が神域においては「穢れ」や「汚れ」として認識されるというのは面白かったりする。
八幡の藪知らず事件
八幡の藪知らず事件は、「千葉県茂原市女子高生失踪事件」の別名。
「千葉県茂原市で女子高生が失踪した事件」と「八幡の藪知らずにまつわる神隠し伝説」がネット上で同じ千葉つながりの出来事として無理矢理こじつけられ、「八幡の藪知らず事件」と呼ばれるようになった。
発見時、女子高生は警察の質問に対し「誘拐や何かしらの事件に巻き込まれたわけではない」と答えており、犯人や事件性は無く、単なる「家出」として処理されている。
- 事件発生:2013年7月11日
- 場所:千葉県茂原市
- いつ:高校3年生の女子が学校からの帰宅途中に行方不明
- 発見:77日後の2013年9月26日
- 発見場所:自宅から350メートル離れた神社
発見された女子高生の謎
失踪期間中の女子高生の生活は下記のように謎だらけで、ネット上では八幡の藪知らずの神隠し伝説との関連も噂された。
- 神社の社の中で座っていたところを発見された
- 体重は45㎏→31㎏へと激減し、痩せこけていた
- 髪の毛や着ていた制服はひどく汚れており、ホームレスのようだった
- 77日間、近所の畑の野菜を盗み飢えをしのいでいた
- 人目の多い街中で長期間発見されなかった
- 野菜だけで飢えを凌げるとは思えず、食料や水、トイレはどうしたのか
女子高生の現在
女子高生の現在について、詳しいことはわかっていない。
ネット上ではあまりの事件の不可解さに、その真相に関して次のような説が囁かれた。
- 本当は犯人がいるのだが、脅されているため真相が話せないでいる説
- 失踪中はずっと彼氏と一緒にいた彼氏犯人説
- 両親が某宗教団体の信者で入会を迫られるのが嫌で家出した説
- メディアが報道を打ち切ったのは宗教団体が絡んでいるため説
真相の深層は彼女の家庭の事情の問題だったと言われるが、一度火のついたネット探偵たちの探求心と好奇心はしばらく収まることはなかったようである。
禁足地とドローン問題
藪知らずなどの立ち入り禁止とされる場所に「ドローン」が落ちた場合、どうすればいいのかと素朴な疑問を呈する興味深い人々が存在する。
気になっていた方もこのような緊急事態に対するQ & Aを参照し、万が一の事態に備えてもらいたい。
ドローンが藪の中に落ちてしまった場合
興味本位で禁足地や神域でドローンを飛ばして誤って落下させた場合はどうなるのか。
祟りが起きる対象が次のうちどれなのかが気になる人もいるようである。
- ドローン本体
- ドローン製作者
- ドローン操縦者
神職の方の話によると、神様が決めることなので障りがあるのかどうかは時と場合によるという。
操縦者による神域の撮影を知らなかった場合は製作者に祟りはないと考えられるが、神の怒りが収まらない場合には製作者にまで祟りがおよぶこともあり得る。
また、各地の言い伝えによれば、バチが当たるのは本人だけのものから家族、村全体におよぶものまで様々だという。
ボールが中に入ってしまった場合
今は昔、1970~71年くらいの話だ。
八幡の藪知らずに子供が誤って投げ入れてしまった「ドッチボール」のような物の救出作戦を目撃した人の実話がある。
- 市役所の職員
- 警察官
- 神職
の人たちが勢ぞろいし、ボールの救出劇に立ち会ったそうな。
市役所の職員さんが石の柵から身を乗り出すようにして、長い虫取り網や竹竿のような物を使ってボールの回収作業をしていたという。
作業していた職員さんの体が竹藪に入りそうになると神職の人から注意が飛んでいたそうだ。
八幡の藪知らずのやばい12の伝説
八幡の藪知らずは入ったらヤバい場所なのだろうか。確かに18メートル四方の小さな竹藪の周囲は柵で囲われていて、中に入りづらくなっている。
唯一、立ち入りが許されているのは凹のへこみ部分にある神社だ。小さな鳥居をくぐれば参拝用の祠と3つの石碑たちが出迎えてくれるというラグジュアリーさだ。
国道14号を挟んで市川市役所と斜め向かいに睨み合うかのように位置し、現在過去未来が交差する不思議なたたずまいは何ともミステリアスで市街地に突如として現れるミスマッチな空間は、ここだけずっと時が止まったままのような遠い日のノスタルジーを感じさせる。
「八幡の藪知らず」が禁足地となった理由には諸説あるが、なんにしてもまずは有名な12の伝説を順に見ていこう。
- 日本武尊の陣所説
- 平良将の墓所説
- 平将門の墓所説
- 将門の家臣(影武者)の墓所説
- 将門軍の鬼門になった場所説
- 平貞盛により奇門遁甲の陣が布かれた場所だという説
- 水戸黄門が入って出てこれなくなった説
- 藪の中央の窪地から毒ガスが噴出している説
- 藪の中央に底なし沼があるという説
- 藪の中央には放生池があったという説
- 近隣の行徳村の飛び地(入会地)だとする説
- 葛飾八幡宮の跡地説
①日本武尊の陣所説
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、日本書紀や古事記に登場する古代日本の伝説的な英雄である。
その日本武尊が東国征討の際、この八幡の藪知らずを陣所にして兵を駐屯させたという説がある。
陣所(じんしょ)とは、軍隊が陣を設けてしばらく駐在する場所(軍営・陣営)のこと。
②平良将の墓所説
平良将(たいらのよしまさ)は、下総国を治めた武将であり、将門の父。
八幡の藪知らずが、この良将の墓だという説もある。
③平将門の墓所説
この八幡の藪知らずが、平将門の墓所だという説もある。平将門は平安時代の関東の豪族で良将の子。「平将門の首塚」といった都市伝説でも有名な人物だ。
千葉県市川市大野には将門にまつわる伝説が多くあり、ゆかりのある土地とされる。市川市立第五中学校のある土地は、かつて将門が大野城を築いた場所だという言い伝えがある。校舎の裏には将門にまつわる祠(ほこら)が祀られている。
校庭の向いの高台に建つ「天満天神宮」も将門が建立したものだという。
さらに、大野地区と将門にまつわる伝説には以下のものがある。
- 古くからこの地区に住んでいる者には坂東という苗字の者が多くいて、その人々は将門の家臣だという説
- この地区の住民は祟りを恐れ、将門の調伏祈願をおこなった成田山新勝寺に参拝に行こうとしない
- 将門を騙した愛妾・桔梗姫にちなみ桔梗を植えない、桔梗の紋や文様を避ける
④将門の家臣(影武者)の墓所説
将門の家臣の墓所だという説もある。
将門を慕っていた家臣は6人いて、将門が討たれた際に首を守りつづけて泥人形になったという伝承がある。
また、首を守ったのは家臣ではなく、将門の影武者だったという説もあるようだ。
⑤将門軍の鬼門になった場所説
将門が朝廷軍と戦った時、将門軍の鬼門にあたる場所だったとする説。鬼門とは、北東(うしとら・丑と寅のあいだ)の方角のこと。
古来より、この世とあの世をつなぐ、鬼が出入りする不吉な方角とされる。
将門が命を落とす最後の合戦が始まったのは、奇しくも未申の刻(ひつじさる・午後三時)だった。これを方角に当てはめれば鬼門の反対の裏鬼門となり、こちらも同じく不吉な方角とされている。
⑥平貞盛により奇門遁甲の陣が布かれた場所だという説
平貞盛(たいらのさだもり)は将門の従兄弟で「将門の乱」を平定した人物。貞盛は将門征伐のため、この八幡の藪知らずに奇門遁甲(きもんとんこう)の陣を布いたという。
貞盛は将門を倒して京へ帰る際に地元民に次のように告げたという。
「いくさは終わったが、この場所にだけ奇門遁甲の死門(あの世へつながる門)を残したので、今後足を踏み入れてはならない。踏み入れた者には必ず害がある」
奇門遁甲(八門遁甲)とは、中国から伝わる占術・呪術の一種でイメージ的には日本の陰陽道に近いものがある。三国志に登場する蜀の天才軍師・諸葛亮孔明もこの術を用いていたという伝説がある。
⑦水戸黄門が入って出てこれなくなった説
水戸黄門の名で有名なお茶の間のヒーローこと水戸光圀が八幡の藪知らずに入って出てこれなくなったという伝承も存在する。
彼は足を踏み入れたら二度と出てくることが出来ないという藪知らずの噂を聞きつけると、その真偽を確かめるため藪知らずに入っていった。
すると、仙人のような出で立ちをした白髪の老人が光圀の前に現れ、次のように告げたという。
「戒めを破って森に入るとは何事か。汝は貴人であるから今回は見逃すが、今後この森に入ることは許さぬ」
この伝承は、3枚の錦絵にもなり日本全国に広まったという。
⑧藪の中央の窪地から毒ガスが噴出している説
藪の中央部が窪んでいることから、そこから「毒ガス」が出ているのではという説が語られている。
しかし、科学的な根拠があるわけではない。
約18メートル四方の小さな竹藪から毒ガスが出ているというのなら、とっくの昔に被害者が出て大問題になっているはずである。
⑨藪の中央に底なし沼があるという説
藪の中央に底なし沼があるという説もある。
こちらも毒ガス同様、土地の中央が凹んでいることに由来しているようである。
⑩藪の中央には放生池があったという説
さらには、藪知らずの中央の凹みには放生池(ほうじょうち)があったという説。
放生池とは、魚などを放すため神社仏閣内に造られた池のこと。
放生会(ほうじょうえ)とは、仏教の教えが元になっている殺生を戒めるための宗教儀式で日本では神仏習合のときに神道にも導入された。
⑪近隣の行徳村の飛び地(入会地)だとする説
史実では、かつてこの地は行徳村の飛び地(入会地・いりあいち)となっていて八幡の住民は入ることが許されなかった。
そのことから「八幡知らず」と呼ばれ、いつからか「藪知らずに」に呼び名が変わっていったという説もある。
飛び地とは、とある事情により所有する土地の一部が他所に飛んでいる場所のこと。入会地(いりあいち)とは、村や部落などが共同体を作り、山林、漁場などの土地を共有する場所のことだ。
⑫葛飾八幡宮の跡地説
八幡の藪知らずのすぐ近くには、かつて多くの武将や文化人の信仰を集め親しまれてきた「葛飾八幡宮」があり、八幡の藪知らずが葛飾八幡宮の跡地であるとする説も存在する。
つまり、葛飾八幡宮を最初に勧請(かんじょう)した神聖な土地だから無暗に入ってはいけないということなのだろう。
また、1800年代に刊行された文献には、「藪知らず」が「葛飾八幡宮の改築工事をしている期間のご神体を保管するための仮りの社殿だった」と書かれているという。
あとがき
藪知らずが禁足地になった理由については、この場所に放生池(ほうじょうち)があったからという説が興味深い。
放生池は神聖な行事がおこなわれる場所なので、無暗に入ってはいけないと言われてきたが、1868年明治政府のおこなった神仏分離によりこの行事は禁止された。
いつしか藪知らずに入ってはいけない「理由」は忘れ去られ、「入ってはいけない」という伝承だけが現代に伝わり、謎の禁足地が生まれたのかも知れない。
それを確かめる術(すべ)は藪の中央にあるとされる池の存在だけなのだが、確かめようにもそこはすでに禁足地なのであり、そこで殺人事件が起きたわけではないが、まさに真相は藪の中なんて芥川ばりに嘯いてしまうのだ。