それまで愛国心がないと言われてきた日本の多くの国民が熱狂的な愛国者に豹変した。
たった10年前までは、ほとんどの日本人が愛国というものを理解していなかったにもかかわらず、1890年代になると多くの日本人が急激に愛国を叫ぶようになった。
その理由は、当時の明治政府が国民に対しておこなった教育にあるという。
藩から国へ
明治初期の日本人が愛国心を持たなかった理由は、そもそも多くの日本人にとって「日本」という単位がそれほど大した意味を持ってなかったからだ。
ほとんどの日本人は明治維新よりも前は「藩」よりも大きなものを意識せずに生活していた。つまり、藩が「国」だった。
ある藩で生活している人にとっての外国は「よその藩」で、そのさらに向こうにある現在の私たちの言うところの「外国」は意識の外だった。
だから、藩より大きな「日本」というものを愛することは当時の日本人には想像もつかないことだった。
愛国心の教育
ところが1890年代になると、多くの日本人が急に「愛国」を叫ぶようになった。
その理由は次のようにいろいろある。
- 教育勅語の公布
- 日清戦争での日本の勝利
- 武士道ブームの定着
教育勅語の公布
1890年に教育勅語が公布されると、奉読と拝礼の儀式を通じて日本人に愛国的な振る舞いを教え込んだ。
日清戦争での日本の勝利
1894〜95年の日清戦争で日本が勝利を収めたことも理由のひとつ。清国に勝ったことは、世界の中の強国としての「日本」を日本人に強く意識させた。
武士道ブームの倫理観の定着
武士道ブーム以降、日本人なら武士を模範とすべしといった武士道の倫理観が日本人全員に要求されるようになった。
愛国的な日本人を生み出す教育
その他にもいろいろな要因が絡み合っていると考えられるが、結局のところ日本人の多くが愛国的になった理由は広い意味での「教育」の結果である。
前述の教育勅語は、その際に大きな役割を果たした。校長先生が教育勅語を読み上げ、生徒がこれをありがたく聞く儀式は国と天皇に対する「畏敬の念」を若い日本人植え付けた。
さらに武士道については、そもそも武士とは主君(藩主)に仕える存在。明治日本の「武士」ともいうべきすべての日本人が仕える存在として、その対象が次のように読み替えられた。
主君(藩主) → 主君(天皇)
こうして、天皇を中心とする「日本」という国家への忠誠心が教育によって刷り込まれていった。
国民とは想像の共同体
- 日本人であるという同胞意識
- 日本という国を愛するという感情
同じ日本といえども、親、兄弟、友人、知人を除けば、ほどんどの人が会ったこともない他人である。
そのような赤の他人に、なぜ特別な意識や感情を持つようになるのだろうか。まったくもって不可思議である。
アイルランドの政治学者ベネディクト・アンダーソンは、この赤の他人との謎の連帯感を「想像の共同体」と呼んだ。
国民国家を作り上げるプロジェクト
私たちは見知らぬ人々と「想像」の中で結びついているという。赤の他人でしかない日本人と想像の中で結びつくことが必要と考えられた理由は、日本人を日本という国の国民にするためだった。
明治維新までの人々は自分たちのことを「藩」に属する存在として理解していた。ところが明治になると今度は「日本」という国に忠誠心を抱かせ、一丸とならなければ外国勢力に対抗できない。
そのため、「日本国民である」という意識を一人ひとりに植え付けるための教育が必要だった。これはヨーロッパ諸国に倣って明治政府がおこなった国家的なプロジェクトだった。
ヨーロッパ諸国と国民国家の誕生
ヨーロッパの国々はフランス革命以降、国民(ネイション)を単位とする国民国家へと急速に変貌した。
それ以前のヨーロッパ諸国は「地方」が江戸時代の「藩」のように力を持っており、地方の貴族や聖職者が及ぼす影響力は中央政府の支配力に匹敵するものだった。
なので現代のように中央政府はトップダウンで地方をコントロールすることが出来なかった。政策を実現させるにはどうしても地方の有力者の協力が必要だったのだ。
各地方の文化や社会慣習は現代とは比較にならないほど独自性が強く、話される言語すら異なっていた。つまり標準語がそもそも存在しなかった。
国民国家の形成
このように自律性や独自性の強かった「地方」を国家として統合するようになっていくのが18〜19世紀のヨーロッパの歴史である。
ブルゴーニュ地方やノルマンディー地方といった様々な地方の人々がフランス国民として統合されるようになり、学校教育や社会プロパガンダを通じて国民意識が一般の人々に刷り込まれた。
文化や慣習が異なる地方の人々を「フランス国民」という枠にはめるために次のことが教え込まれた。
- フランス語(国語):標準語として
- フランス国民の歴史:一つの歴史を共有する必要性があったため
ヨーロッパの手法を日本にも導入
明治政府は藩の連合体でしかなかった日本を中央政府が統治する国に改造するため、ヨーロッパ諸国の国民国家の作り方を真似て日本の人々を教育していった。
まず「国語」と「国史(日本史)」を学校で教えるようにしたが、その中でも興味深いのは「唱歌」の誕生と奨励だった。
学校で生徒全員が声を揃えて歌う行為は、すべての人々の間に連帯感を生み出す。日本の景観の美しさや軍隊の勇ましさを歌にして、それを歌わせることで日本人としての意識を植え付けていった。
あとがき
日本列島に住む人々に「自分は日本という国の国民である」という意識を芽生えさせる教育を施した結果、日本人が生まれた。
だから日本人なら誰でも愛国心を持つことは自然であり、当然だというのは事実ではない。
私たちが「日本人である」ということを強く意識するようになったのは、明治以降の教育の結果なのである。