民衆の極端な愛国的変化は福沢諭吉の言論活動からもわかる。
代表作の『学問のすすめ』や『文明論之概略』でも日本人が愛国的になることの重要性を説いていた。
そして、彼は次のような者こそ「真の愛国者」だと考えていた。
「自国の権義を伸ばし、自国の民を富まし、自国の知恵を修め、自国の名誉を輝かさんとして勉強する者」
もともと日本人はこうした努力を自分が属する藩(主君)のために行ってきた。福沢はこうした態度をより大きな「日本」という単位に向けること目指した。
そして、自国を強く大きな存在にするための努力を国民一人ひとりが怠らなければ、日本がヨーロッパ諸国に後れを取らない存在になると説き、愛国心を抱くべきだと主張した。
福沢が愛国心の必要性を必死に説いたのは、当時日本人の多くが愛国的でないどころか、「そもそも愛国が何であるかさえ分かっていない状態だった」ということが背景にある。
愛国心そのものに疑いを抱く
ところが、のちに福沢諭吉は日本人の一部が愛国的になりすぎたことに戸惑いを覚えるようになる。
1892年に発表した論説『極端の愛国者』では、愛国をこじらせた者たちによる外国人差別について警告している。
一部の愛国者は外国人に対して強硬な態度をとり、外国人とのあいだで紛争が持ち上がれば、よく調べもしないで外国人の方が悪いと決めつける
さらに、1897年に新聞『時事新報』に掲載された『福翁百余話』では次のように嘆いていた。
諸国民が自国の利益ばかりを追求する世界は非常なるものである。自国の利益を主張し「愛国に熱する」のは主義の高尚なるものではない
このような福沢の指摘は、現代社会にはびこる新自由主義や行き過ぎたグローバリズム批判とも重なるように思える。
愛国を説くことの明暗
- 明治初期:日本人は愛国的になるべき
- 明治後期:愛国心そのものに疑いを抱く
明治初期、福沢諭吉は日本人が愛国的になることを待ち望んでいた。
ところが明治後期になると愛国的すぎる多くの日本人の極端な右傾化を危険視し、愛国心そのものに疑いを抱くようになった。
福沢のこの心境の変化は何を意味するのだろう。結局のところ福沢は日本人に愛国を説いたことを後悔していたのだろうか。