世の中で語られている事実が真実とは限らない。ビートルズの誕生エピソードもその1つだ。
ビートルズは社会を破壊するために「タビストック研究所」がつくり出した壮大な仕掛けだ。彼らの初期の楽曲を作ったのは「テオドール・アドルノ」という人物だとされる。
その目的はドラッグ(麻薬)を広め、世代間の生活様式や価値観を相違させ分断するだけでなく、若者を無気力にし、自堕落な生活へ誘導するためだ。
かつて一世を風靡したビートルズ現象は、古い社会制度に対する若者の自発的な反抗などではなかったのだ。
- ビートルズを作り出したタビストック研究所
- 楽曲を手掛けた作曲家テオドール・アドルノ
ビートルズをつくったタビストック研究所
1960年代、ロックとドラッグの拡散計画により若者を分断し社会不適応にするため、「新しい造語」や「フレーズ」がビートルズとともにアメリカへもたらされた。
タビストックとSRC(スタンフォード・リサーチ・センター)は、新しい世代のアメリカの若者をコントロールするため、ロック・ミュージックに関連する新しいキーワードを広めた。
キーワードは、新たな若者を中心とするグループを生み出し、彼らは社会工学や意識操作によりビートルズを自分たちが好きなグループだと思い込まされた。
- ロック
- ティーンエイジャー
- クール
- ディスカバード
- ポップ・ミュージック
- ヒッピー
- ビートジェネレーション
上記の言葉は「ドラッグ(麻薬)」の使用を容認することを裏に秘めた用語だという。
それまで「ティーンエイジャー」という言葉は、まったく知られていなかった。なぜなら、この言葉はタビストック研究所が造り出した造語だからだ。
ブームの火付け役エド・サリヴァン
メディアによる多大な協力が無ければ、ヒッピーやビートジェネレーションも、それほどロックやドラッグに熱狂せず、ごく限られた地域でのブームで終わっていたはずだ。
1950~1960年代、アメリカで大人気だったテレビ司会者の「エド・サリヴァン」は、ビートルズが全米に上陸する前にイギリスへ呼び出され、リバプールの4人組を紹介された。そして、すぐさまアメリカへ戻り、彼らをどのように売り出すべきか戦略を練った。
ビートルズはアメリカへ上陸後、コンサートや高視聴率TV番組「エド・サリヴァンショー」への出演、マスコミの過剰報道により人気に火がついた。
バンド名の由来は古代カルト宗教
バンド名に「ビートルズ(Beatles)」という名前が選ばれたのも現代のロックと古代エジプトのカルト宗教とのつながりを示すためだった。
古代エジプトのイシス教団は、その宗教的シンボルとして「スカラベ」というフンコロガシの名で知られる甲虫を神聖視していた。
ビートルズのあとも次々と新たなロックグループが登場したが、ビートルズ同様、アドルノが楽曲を提供していたとされる。
ロックとドラッグ
ビートルズの歌に『With a Little Help From My Friends』という曲がある。この曲の「友達のちょっとした助けを借りて」というフレーズの裏には、「ドラッグを使うことはクールだ」というサブリミナル的な暗号が潜んでいるという。
ビートルズ現象は、流行りの服やへアースタイル、言葉遣いといった新しいスタイルをアメリカの若者に押し付けて古い世代を困惑させたが、これはSRCの社会政策研究所所長ウィリス・ハーモンと彼の研究チームが考案した「分裂と不適応過程」という研究がもとになっている。
皆、スイスの製薬会社サンドが都合よく提供するマリファナやLSDなどのドラッグが引き起こす現象に「不適応反応」を起こしていた。
LSDは、科学者「アルバート・ホフマン」が1938年に作り出したものだ。300人委員会はLSD普及プロジェクトに資金提供をおこない、このドラッグはイギリスの作家「オルダス・ハクスリー」によってアメリカへ持ち込まれた。
ドラッグはすぐさま試供品サイズにパッケージングされ、アメリカ中の大学のキャンパスやロックコンサートで無料で配られた。このような場所がドラッグの使用を急増させる拠点となった。
多くの新しいイギリスのロックバンドがアメリカに上陸し、ロック・コンサートがアメリカの若者の日常となるにつれてドラッグの使用は増えて行った。
不協和音の思いビートが空間をつつみこみ、何かの儀式のような乱痴気騒ぎが聴衆の神経を麻痺させる。そして「みんなやってるんだから」という悪魔のささやきに誘われて新しいドラッグに手を出すという仕組みだ。
自分が属するコミュニティの圧力は強力で振り払うには相当な自制心が必要なはずだ。
ビートルズは、タビストック用語の「新しいタイプの麻薬密売人」を意味する言葉「ニュータイプ」を具現化したものなのだ。
ビートルズの曲を生み出したテオドール・アドルノ
ビートルズ初期の楽曲を提供していたのは、ドイツ系ユダヤ人の作曲家テオドール・アドルノという人物だ。彼は、古代の異教の神を信仰する「ディオニソス・カルト」の音楽実験のため、ヒトラーにドイツから追放された。
アドルノはオッペンハイマー家によりイギリスへ逃がされ、イギリス王室からゴードンスタウン・スクールにある設備の使用を許可され、資金援助を受けた。このスコットランド北部にある名門寄宿学校は、多くのイギリス王室メンバーと海外セレブの子息を輩出している。
アドルノがビートルズの音楽だけでなく、パンクやロック、ヘビーメタルなど現在、普及している退廃的な音楽形式を完成させたのはすべてこの場所だといわれている。
ロックと無調音楽形式
ディオニソス・カルトとは、ギリシャ神話に登場する豊穣の神ディオニソスを信仰するカルト集団のことだ。
アドルノは無調音楽形式と異端の神の儀式に使われていた祭祀音楽を融合し、重くて強く反復的な音をベースにした音楽形式を生み出した。
ちなにみ、古代ギリシャのオルギアという秘密儀式では、神々を苦しめた巨人たちがディオニソスの体をバラバラに切り刻み生贄にする様子が表現されている。ディオニソスは分断の象徴なのか。
テオドール・アドルノの人生
テオドール・アドルノはドイツのフランクフルト学派を代表する思想家の1人だった。肩書も思想家、社会学者、音楽評論家、作曲家と多岐にわたる。
フランクフルト学派は、「道具的理性」という概念を提唱し、社会の近代化によって人間が人間を含む自然を支配し、搾取することを批判した。
アドルノはフランクフルト大学を卒業後、ウィーンに行き「12音技法による無調音楽形式」の作曲法を学んだ。
その後フランクフルトに戻るが、出自がユダヤ系だったためナチスドイツから追われるはめになり1934年にイギリスへ逃れ、1938年にアメリカへ渡る。
第2次世界大戦後の1949年にふたたびドイツへ帰国すると、フランクフルト大学の社会研究所所長に就任する。
ビートルズが解散する前年の1969年6月6日、アドルノは妻と休暇で訪れていたスイスで心筋梗塞を起こし死去した。65歳だった。

あとがき
1960年代、世界各地で学生運動が巻き起こる中、新しい革命の柱となる思想をもとめフランクフルト学派にも注目が集まった。
だが、フランクフルト大学における紛争ではアドルノが批判の対象となり、学生たちは社会研究所を占拠する。そんな学生たちを機動隊を使って鎮圧したアドルノは、裏切り者の烙印を押されてしまうのだ。
アドルノがタビストックに手を貸した理由はわからない。だが、学生運動の標的になったことや、若者たちを暴徒化させたやり場のないエネルギーへの恐怖が、彼をこの不気味な計画へ向かわせたとしても不思議はない。
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