不思議な話

【従順さと服従について③】聖書や神話などに見られる不服従

ヨーロッパの政治思想的な伝統では服従することが無条件に正しいことだと考えられてこなかった。むしろ、服従しないことが思想的伝統においての一大テーマとなっている。

だからこそ、ヨーロッパでは不服従というテーマについて古代より繰り返し論じてられてきた。

次のような聖書や神話などでは不服従についての描写がしばしば見られる。

  • 旧約聖書の創世記に見る不服従
  • ギリシャ神話に見る不服従
  • 悲劇『アンティゴネー』に見る不服従
  • 預言者と不服従

旧約聖書の創世記にみる不服従

ユダヤ・キリスト教の伝統ではアダムイヴが神の命令に背き、知恵の実を食べたことが罪となりエデンの園を追放された。そして、彼らは様々な苦難を背負って生きることになった。

旧約聖書創世記にあるこの物語からは「神に服従しないことは罪である」というメッセージが読み取れる。

それと同時に、不服従という罪を犯すことによって、人は自らの意思で運命を切り開く存在になった。人が自らの意思で生きるようになったのは、神に服従しなかったからだとも。

ギリシャ神話にみる不服従

ギリシャ神話によれば、人間は主神ゼウスから火を奪われてしまい自然の寒さに凍えていた。

そんな境遇を哀れに思ったプロメテウスが天界から火を盗んで与えることで、人間は火を用いた文明を享受できた。

しかし、それはゼウスの意思に反する行為だった。プロメテウスがゼウスに服従しなかった結果、人間は独自の文明を持つことになった。

悲劇『アンティゴネー』にみる不服従

ギリシャの悲劇ソポクレス『アンティゴネー』がある。以下はその登場人物。

  • アンティゴネー:主人公でオイディプス王の娘、テーバイの王女
  • オイディプス:テーバイの王
  • イオカステー:王妃でアンティゴネーの母
  • ポリュネイケース:オイディプス王の息子でアンティゴネーの兄
  • エテオクレース:オイディプス王の息子でアンティゴネーの兄
  • クレオーン:王妃イオカステーの弟、のちに王位に就く
  • ハイモーン:クレオーン王の息子、アンティゴネーの許嫁

物語の主人公アンティゴネーはオイディプス王の娘。彼女にはポリュネイケースとエテオクレースという二人の兄がいた。二人の兄は王位継承をめぐり争っていたが、のちに相討ちになり死亡する。

その後、アンティゴネーの叔父であるクレオーンが王位に就くが、彼はポリュネイケースを反逆者とみなし、丁重にとむらうことを禁じた。しかし、アンティゴネーは王に背き、兄の亡骸に砂をかけて埋葬の代わりとした。

これに怒った王はアンティゴネーを地下の墓場に生きたまま幽閉する。その後、アンティゴネーは首を吊って自殺するが、彼女の許嫁いいなずけでクレオーン王の息子でもあるハイモーンも彼女の後を追い自殺してしまうのだ。

国家の法よりも道徳的正当性

アンティゴネーは権力者であるクレオーン王に服従しなかった。クレオーン王は国家と法の権威を絶対と考えており、次のように言い放った。

「法に違反し、法を曲げる輩、支配者をば指図せんなどと考える者、かような者をわしは容認するわけには行かぬ(中略)秩序統制のないところ、これにもまして大いなる禍いはない」

『ギリシャ悲劇全集』/岩波書店、1990年

これに対して、アンティゴネーは神々の法こそが絶対と考えていた。彼女はクレオーン王にこう答える。

「殿様のお触れと申しても、殿様も所詮死すべき人の身ならば、文字にこそ記されてはいないが確固不抜の神々の掟に優先するものではないと、そう考えたのです」

『ギリシャ悲劇全集』/岩波書店、1990年

アンティゴネーは、ただの人間にすぎないクレオーン王の命令よりも神々の掟に従うべきだと訴えた。クレオーンが合法性を絶対視するのに対し、アンティゴネーは神の法としての道徳的正当性こそが最も重要だと考えていた。

哲学者ヘーゲルの洞察

18〜19世紀初頭ドイツの哲学者ヘーゲルも著書『精神現象学』で『アンティゴネー』について論じている。この悲劇の本質は「対立する2つの考え方が、どちらもそれなりに道理にかなっているところにある」と。

クレオーン王は決して悪い権力者とは言えない。なぜなら、法の権威を唱え、権力こそが人命を救い、秩序を守ると主張することには一理あるからだ。

しかし、法と秩序だけが正義とは言えない。「ただの人である国王の命令よりも神の掟に従うべき」というのが道徳的な正義の観点であり、それが人の良心でもあるからだ。

預言者と不服従

聖書に登場する預言者たち、たとえば、イザヤやエレミヤ、アモス、ミカなども政治的権力や一般社会の風潮に対して従順ではなかった。

預言者とは未来を予測する人々ではなく、神の言葉を人々に告げる存在である。だから人々が神の法に従わなくなると厳しく警告する。彼らは権力者や民衆にとって耳の痛いことをハッキリと公言する人々だった。

しかし、人は耳の痛いことを聞きたくないもの。預言者たちは、しばしば民衆から攻撃された。預言者たちが神の言葉に忠実であろうとするのは、アンティゴネーが道徳心に従ったこととよく似ている。

参考:将基面貴巳著/『従順さのどこがいけないのか』、スタンレー・ミルグラム著/『服従の心理』、アルノ・グリューン著/『従順という心の病い』

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