2025年5月2日、宇多田ヒカルが新曲『Mine or Yours』を発表し、『令和何年になったらこの国で 夫婦別姓OKされるんだろう』という歌詞が話題になっている。
これまで俳優や歌手、小説家など影響力を持つ著名人が政治的な発言をしたり、それを作品に込めることについては賛否があった。
ここでは夫婦別姓の是非についてではなく、著名人が政治的なメッセージを発信することの是非について考えてみたい。
芸能人の政治的発言はタブーなのか?
もっとほかにもあるのかもしれないが、今ざっと思いつくだけでも次のような著名人の政治的発言がある。
- 忌野清志郎:反戦的メッセージ
- 坂本龍一:反戦、反原発、反自然破壊
- 小泉今日子:検察庁法改正案への抗議
- 柴咲コウ:種苗法
- 柴田淳:兵庫県知事問題、N党立花問題
- 菅原文太:2014年沖縄県知事選挙での政治の役割についてのスピーチは有名。「政治の役割は二つあります。一つは国民を飢えさせない事、安全な食べ物を食べさせる事。もう一つは、これはもっとも大事です。絶対に戦争をしない事」
芸能人や有名人などがこのような政治的な発言をすると、すぐに世論などに叩かれる。
- 芸能人は政治的発言するな
- 音楽に政治を持ち込むな
- スポーツに政治を持ち込むな
- 小説家は思想を隠してほしい
小説と政治的発言
芸能人やアーティスト、スポーツ選手、小説家といった著名人も、当然、政治や歴史観について、さまざまな思想を持っている。ただし、それについて公に発信する人もいれば、避ける人もいるというだけだ。
アニメ・小説『Gosick-ゴシック』の作者で直木賞作家の桜庭一樹氏は、小説家と政治的発言について考え続けている一人であり、著書『読まれる覚悟』でそのことについて言及している。それについて少しご紹介したい。
社会問題を小説に書くこと
日本では、小説に社会問題を直接的に書くのはあまり良くない、という批判が一部である。作者の政治的主張は設定にうまく溶かし込み、あくまで個人の物語を描くべきである、ということなのだろう。
また、ファンダム(ファン・コミュニティ)の中で神のように扱われているタイプの小説家の場合は、思想を表に出すと嫌がられる。「エンタメ的な消費の邪魔になる」という声が多いようだ。
つまり、作者自身の思想に共感できるかどうかではなくて、原作者は消費物の一部だから、そんな人間みたいなことを言われると一気に興醒めして、作品にのめり込めなくなるからだという。
しかし、その考え方に少し疑問もあるのだという。それはここ数年の日本国内に限ったことで、海外の小説や古典ではそうとは限らない。桜庭氏は、政治的発言が表現されているものとして次の三つのをあげている。
- フランス文学『レ・ミゼラブル』
- 韓国文学
- 中国の漢詩
フランス文学『レ・ミゼラブル』
この作品は一九世紀のフランスを舞台に、文豪ヴィクトル・ユーゴーが書いた大河小説で、パンを一つ盗んだことで投獄されたジャンバルジャンの更生と孤児コゼットの成長の物語など、複数の人生がフランス激動の時代の中でドラマチックに描かれている。
作者のユーゴーは身の危険を感じながらも個人の物語だけでなく、自身の政治的主張や「国家が公式に認めている歴史とは異なる時代の真実を書き残す」という使命感を持っていたのだろう。
この物語は、悪政の犠牲になったのは貧しい人々(レ・ミゼラブル)だったという歴史の証言として、今なお読み継がれている。文学にはこのような存在意義があるのだということを桜庭氏はこの作品から学んだという。
韓国文学
文学と政治。このような関係性はお隣の韓国文学にも見られる。韓国文学は「正論」を盛る器であり、「正しいことを言うために文章がある」という考え方が韓国の書き手の中には存在する。
韓国は歴史的にも武より文の方が地位が高く、文に明るい者たちが科挙を受け官僚になってきた歴史がある。だから今も文を書く人は「まともさ」や「まっとうさ」を社会に示していくべきである、という考え方が根底にある。
また「作家は社会における声なき者たちの代弁者である」という考え方が根強い。さらに日本の植民地支配や韓国政府からの弾圧の歴史があるので、「誰かが声を残さなければ、かき消されて無かったことにされてしまう」という危機感と使命感が小説家の側に強くあるようだ。
桜庭氏は社会問題が描かれている韓国文学作品をいくつか例に挙げている。
- 『82年生まれ、キム・ジヨン』:直接的に社会問題を取り込んだ作品。2016年以降に盛んになった韓国フェミニズム運動を代表する小説で、そのテーマは「社会が作り出したジェンダー・アイデンティティがもたらす問題の可視化」である。
- ハン・ガン氏の作品:2024年にアジア人女性として初のノーベル文学賞を受賞したハン・ガン氏の作品も社会問題を題材としている。『少年が来る』は光州事件を、『別れを告げない』は済州島四・三事件を、『菜食主義者』では家父長制の持つ暴力性が描かれている。
- ファン・ジョンウン氏の作品:『ディディの傘』はセウォル号沈没事故やキャンドル革命を題材にしている。
- パク・ソルメ氏の作品:『もう死んでいる十二人の女たちと』は光州事件や江南駅殺人事件を題材にしている。
- チェ・ウニョン氏の作品:『シンチャオ・シンチャオ』はベトナム戦争での韓国の加害の歴史を題材にしている。
中国の漢詩の世界
七世紀の唐の時代。中国の漢詩の世界にも、そのような動きが垣間見える。当時の詩人の多くは科挙試験を受けた「文」のエリートや君主、貴族などだった。
甘い恋愛の詩に見せかけて、人はどう生きるべきかといった哲学や思想、政府を痛烈に批判する詩なども多く残されている。
その中でも杜甫は唐という国の歴史を詩の形で残した人物でもある。その詩には当時の世相を散りばめられたものが多いので、詩による歴史書という意味で「詩史」と呼ばれた。
つまり文学が社会の問題に直接触れること、作者が政治的主張も述べることは、歴史をひもとけばとくに珍しいことではないのだよなぁ、と読者としてのわたしは考えています。
だからそこを指摘されたときは、小説にはいろいろなものがあります、というお話を(オタトーク気味に長く…・・・)したいと思っています。
出典:桜庭一樹著『読まれる覚悟』
あとがき
ここからは筆者の私見だが、芸能や表現に携わる人々もどんどん政治的主張をするべきだと思う。彼らも、この社会や国家を構成する者たちの一人であるからだ。
けれども、影響力があるため発言に慎重さが求められたり、利権やしがらみといった大人の事情のせいで無理、という人も多いのだろう。世の中には反原発を訴えて仕事が無くなった俳優もいる。
とはいえ、表現者も大衆あってこそ。政治的な大惨事により国民がいなくなり、国家が無くなってしまえば、あなたの芝居を観てくれる人も、あなたの歌を聴いてくれる人も、あなたの本を読んでくれる人もいないのだから。そのときあなたはどこにいますか。