近代日本の出発点には、江戸時代までの庶民の卑屈な従順さを脱却し、独立自尊を理想として掲げる福沢諭吉という思想家がいた。
『学問のすすめ』で有名な彼も「服従」について深く考えていた思想家の一人だった。
彼はこの著書の中で「独立心、つまり自分で自分を支配し、他人に頼らない姿勢が重要だ」と繰り返し強調している。ここでは福沢諭吉と不服従について触れてみたい。
無気無力な鉄面皮
江戸時代、ほとんどの平民は目上の者や地位が上の者には卑屈なまでに低姿勢で、自分から意見を述べることはなかった。
この従順な状態を福沢諭吉は「実に無気無力の鉄面皮」と厳しく批判した。依頼心が強く、独立心のない人々だらけでは日本という国の独立もおぼつかない。
『学問のすゝめ』が執筆された当時は欧米列強が各地を植民地支配していた時代。一歩間違えば日本にもその火の粉が降りかかる可能性もあった。
従順さの克服
福沢諭吉は日本人一人ひとりが独立心を持つことの重要性を説いた。彼は当時の一般的な日本人に見られる「従順さ」を克服すべきことと考えていた。
以下のような理由で人は服従しやすい傾向がある。
- 服従することが習慣になっている
- 服従することで安心感を得たい
- 責任を回避しようとする
独立心を持つ者は自分の主張を持っている。だから理不尽な命令にやすやすと服従することもない。
現在は江戸時代ではなく、令和である。身分に対して卑屈になる時代でもない。
それなのに、いまだに人生に関わる事や命に関わる決断を自分の頭で考えずに他人任せにする人々が世の中にあふれている。
かかる愚民を支配するにはとても道理をもって論すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。
福沢諭吉著/『学問のすすめ』、青空文庫
参考:将基面貴巳著/『従順さのどこがいけないのか』、福沢諭吉著/『学問のすすめ』