ヨーロッパにおけるバブルはオランダのチューリップ・バブルだけではない。18世紀にはイギリスとフランスにおいて同じ年にバブルが崩壊している。
オランダをチューリップ・バブルで乗っ取った黒い貴族は、ついにはその触手をイギリスとフランスにも伸ばし始めた。
- 1720年:イギリスで「南海会社バブル」が崩壊
- 1720年:フランスで「ミシシッピ会社バブル」が崩壊
時は18世紀、バブルを利用したイギリス乗っ取り計画が幕を開ける。
シェイクスピアの警告
16世紀後半から17世紀初め、イギリスはエリザベス女王の時代だった。
この時代のイギリスの重要な動きは次の2つ。
- 宗教面:英国国教会を確立し、バチカンから独立
- 政治面:スペインの無敵艦隊を撃破し、絶対王政の極盛期を実現
そのような情勢下でイギリスはバチカンの勢力を退け、他国に先駆けていち早く近代国家としての道を歩み始めた。
エリザベス女王の時代、イギリスには劇作家シェイクスピア(1564年~1616年)が存在した。
16世紀末、彼は『ヴェニスの商人』を書いた。その中でヴェネチアのユダヤ商人シャイロックの悪徳さを描いていた。
↓
イギリスに黒い貴族が上陸してくる
↓
イギリス人は要警戒だ!
ここに登場する「ヴェニスの商人」とは黒い貴族のこと。彼はこの話を書くことで、イギリスに黒い貴族が上陸してくることを警告していた。
当時のイギリスはユダヤ人の入国を認めておらず、シェイクスピアも彼らを見たことがなかった。それでも彼が、この喜劇を書くことができたのはユダヤ人の悪評がヨーロッパ中に知れ渡っていたからだ。
シェイクスピアは当時のイギリスとヨーロッパの情勢を熟知していたため、国家の危機に対して警告を発していた。数年後、彼の予想どおりヴェニスの商人がやってくるとイギリス東インド会社を設立した。
乗っ取られた大英帝国
1688年 | オランダからオレンジ公ウィリアムを招き名誉革命なる |
1689年 | オレンジ公ウィリアムはウィリアム3世として即位 |
1694年 | イギリス中央銀行(イングランド銀行)設立 |
1600年、イギリス東インド会社が設立された年にエリザベス女王は死去した。そして、時代は大きく動き始める。
17世紀のイギリス、新教徒の一派だった清教徒が国王に反逆すると国王は彼らを弾圧する。そのせめぎ合いの中の1649年、国王の首は斬られたが、この争いが収まることはなかった。
イギリスはオランダからオレンジ公ウィリアムを招いて新国王に据えようとした。これは名誉革命と呼ばれている。
オランダのオレンジ公ウィリアムを新国王に据える
黒い貴族に支配されているオランダからイギリスの新国王が誕生した。ウィリアム3世は彼らの道具として英国王に就任した。これにより黒い貴族は通貨発行権を掌握し、イギリス経済を動かすようになった。
だが、イギリスを完全に乗っ取るにはこれだけでは足りなかった。彼らはいつものようにバブル経済を仕掛け、破壊する必要がある。イギリス人が所有する富を徹底的に略奪する。そこまでが彼らの戦略だった。
のちに、イギリスでは「南海会社バブル」の崩壊が起きる。
南海会社バブル崩壊
1711年、南海会社はかつてイギリスに存在した政党「トーリ党」の指導者ロバート・ハーレーに設立された。彼のそばには黒い貴族により送り込まれた代書屋のジョン・ブラントという人物がいた。
名誉革命後、黒い貴族はイギリスの上層部を支配し、イギリス全土の完全支配を開始した。当時のイギリスは財政危機に陥っており、南海会社はイギリスを財政危機から救うために作られたとされる。
- イギリスの財政危機を救うため
- 公債(国債+地方債)の一部を南海会社に引き受けさせるため
- 貿易の利潤で公債の利払いを賄うため(利息を払うため)
南海会社の本業は奴隷貿易
南海会社のおもな業務は奴隷貿易。スペインのユトレヒト条約で黒人奴隷貿易の独占権を得ると、南海会社はスペイン領・西インド諸島との奴隷貿易を行う目的で設立された。
だが、この貿易は上手くいかなかった。法を犯して密かにおこなう密貿易であることや、スペインとの関係悪化、海難事故などが原因である。
南海会社は英公債を引き受けるどころか、会社経営そのものが危機的状況に陥っていた。そして、1718年~20年、四国同盟戦争が起こり、スペインとの貿易が途絶した。
南海会社は宝くじを発行し金融機関へ
このような状況下で南海会社バブル事件が起きる。黒い貴族は南海会社を使ってバブルの発生と崩壊を仕掛ける「南海計画」を企てた。
1718年、本業の貿易で赤字がかさんだ彼らは悪魔の戦略に打って出る。「宝くじ」を発行したのだ。宝くじの売れ行きは良く、大成功をおさめた。
黒い貴族は大衆の「射幸心」を煽ることに長けている。簡単に大衆を操ることができるのだ。これを機に南海会社は金融機関に変貌していく。
南海計画を開始
1718年、南海会社は巨額の公債引き受けの見返りに、南海会社株を発行する許可をイングランド銀行との入札競争の末に勝ち取った。
しかし、これは八百長だった。一般的に当時の動きは入札競争とされているが、南海会社もイングランド銀行も黒い貴族の所有物である。
その目的は両社で上納金を吊り上げることだった。この入札競争で南海会社は750万ポンドという巨額の上納金を背負うことになるが、これが翌年に起きるバブル崩壊の時限爆弾となる。
株を売りまくる
もともと南海会社は新大陸(アメリカ東岸、西岸および周辺地域)との貿易の独占権が認められていたが、本業の奴隷貿易は振るわず行き詰っていた。
1719年、南海計画を開始した黒い貴族は株の発行に邁進する。新大陸との貿易で大儲けすると宣伝して南海会社の株を売りまくり、そして株価は暴騰した。
あっという間に株価は10倍になった。このときイギリスの富裕層全員がこの株を買ったと言っても過言ではない。
目的はカネを集めること
南海計画(株の発行)の表向きの目的は、その利益でイングランド銀行との入札競争で積みあがった750万ポンドの上納金をチャラにすることだった。
彼らの目的は最初から株を売りさばいてカネを集めることだった。翌年の1720年、計画通り南海会社バブルは崩壊した。
略奪されたイギリスの富
1711年~20年における南海会社の動きには非常に興味深いものがある。ポイントはこの時、イギリス国民がどのように操られたのかということ。
当時、イギリスの射幸心に富む投機マニアたちは南海会社のもたらす利益と止まらぬ株価の上昇率に心を奪われた。
南海会社の株価の動向 | |
---|---|
1720年1月 | 128ポンド |
2月 | 330ポンド |
5月 | 550ポンド |
6月 | 890ポンド |
夏 | 約1000ポンド |
9月 | 175ポンド |
12月 | 124ポンド |
– | 140ポンド |
南海会社の株はあっという間に「約1000ポンド」まで急上昇したが、これはバブルだった。バブルははじけるようになっている。すべて黒い貴族によるギミックである。
1720年7月、ついに政府が待ったをかけた。「立法バブル法」が制定されたのだ。イギリス政府は黒い貴族に支配されていた。彼らはバブルを作り出し、同時にストップをかけた。そして、バブルははじけた。
米経済学者ガルブレイズは著書で「南海会社バブルの崩壊」について言及している。
「株価は暴落に転じた。その原因の一部は社内の人間や会社幹部の利口な利食い売りだったことに疑いえない」ー『バブルの物語』/ジョン・ケネス・ガルブレイス
ここで言う「社内の人や会社幹部」とは黒い貴族のことだ。一時は1,000ポンドまで上昇した株価は急落し、高値の7分の1の140ポンドの水準で安定した。
あとがき
当時、イギリスの一般庶民はバブル騒動に参加できるほど裕福ではなかった。一方、資産をすべて巻き上げられた王侯貴族などの富裕層は黒い貴族の奴隷となり、イギリスは完全に彼らの手の中に落ちた。
しかし、ヴェニスの商人による舞台はここで終幕とはいかない。フランスでも黒い貴族によるバブル事件が仕掛けられていたからだ。
彼らの計画は両建て、または同時多発的に進められていく。祖国を持たない流浪の民に国境の概念はない。それが彼らの強みであり悲劇なのだ。
関連記事