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映画 リアル~完全なる首長竜の日~のレビュー|罪悪感はやがて自分を殺そうとする

映画「リアル~完全なる首長竜の日~」をアマゾンプライムで見たのでレビュー(感想)を書いてみる。

この映画の副題は「完全なる首長竜の日」となっている。

作中に首長竜は出てくるものの、正直わかりずらかった。

この記事では、映画「リアル~完全なる首長竜の日~」に出てくる首長竜の正体ついて考察する。

映画 リアル~完全なる首長竜の日~とは

映画・リアル~完全なる首長竜の日~は、2013年公開された佐藤健と綾瀬はるかが主演のSFミステリー映画。

監督は黒沢清が務めた。

キャスト

  • 藤田浩市 – 佐藤健
  • 和淳美 – 綾瀬はるか
  • 相原栄子 – 中谷美紀
  • 沢野 – オダギリジョー
  • 高木真悟 – 染谷将太
  • 米村 – 堀部圭亮
  • 淳美の父・晴彦 – 松重豊
  • 浩市の母・真紀子 – 小泉今日子

脇を固める役者も、映画の出来は別として、中谷美紀やオダギリジョー、染谷翔太、松重さん、キョンキョンなど豪華なラインナップになっている。

あらすじ

ストーリーは、恋人同士である浩市(佐藤健)と淳美(綾瀬はるか)を中心に展開していく。

浩市は自殺未遂をはかり昏睡状態で1年間寝たきりになっている淳美の意識に潜り込み、淳美の自殺原因を探ろうとする。

最新の脳外科医療センシングという技術は2人の人物の意識をリンクさせ仮想現実空間(意識)を作りだすことができる。

お互いにSCインターフェースという機器をつければ、相手の意識に潜り込み意識下でコミュニケーションが取れるのだ。

淳美の意識に入った浩市は、淳美の意識世界が1年前の景色のままなのに驚く。

浩市は頻繁に淳美の意識に入るうちに、淳美から子供の頃に書いた「首長竜の絵」を探してきて欲しいと頼まれる。

現実世界に戻った浩市は、「首長竜の絵」を探し始めるのだった。

 原作

原作の「完全なる首長竜の日」は乾緑郎によるSFミステリー小説。

第9回『このミステリーがすごい!』大賞で大賞を受賞し、早川書房『ミステリが読みたい!』2012年版で国内編19位にランクインした作品である。

原作小説のタイトルには「リアル」はついていないので、映画は映画オリジナルのタイトルだ。

原作小説のレビューを見てみても、やはり読者は「首長竜」の意味するものが分からないと言っている人が多かった。

首長竜と謎の少年MORIO

物語の最初から謎の人物として登場するMORIO(もりお)少年は映画のラストまで淳美と浩市につきまとってくる。

淳美の意識の中に出てくるのだが、なぜかいつも頭から水をかぶったようにずぶ濡れでチョット不気味なのだ。

MORIOの正体は、はじめからネタバレしている。

淳美と浩市とMORIOの3人は、子どもの時に飛古根島(ひこねじま)という離島に住んでいた。

もともとMORIOと淳美は島の子供だった。

MORIOは東京から島に引っ越してきた浩市が淳美と仲良さそうにしているのを見て嫉妬した。

MORIOは淳美が浩市にペンダントをプレゼントするのを目撃し、そのペンダントを浩市から奪おうとしていた。

ある時、飛古根島の海岸で遊んでいた淳美と浩市の前にMORIOが現れて、浩市とMORIOは水中で揉み合いになった。

おぼれかけた浩市は難を逃れて浜辺まで逃げたが、MORIOは遊泳エリアを示すブイ(赤い旗と浮きの付いた目印)のロープに足が絡まり窒息死する。

二人には殺意がなく、MORIOは事故死だったが、MORIOを見殺しにしてしまった罪悪感から逃れようとする。

浩市と淳美はスケッチブックに「首長竜の絵」を描いて、MORIOの死を「首長竜」のせいにして子供心に封印するのだった。

それが、悲劇の始まりだとも知らずに。

首長竜がホントに出てくる

タイトルに「首長竜」と入っているが、比喩表現とかではなくて本当に首長竜が出てくる。

ミステリーで謎解きメインのストーリーだと思って落ち着いて見ているところで、いきなり首長竜とのバトルシーンに突入する急展開に脳内が活動停止させられるのだ。

この映画の辛口コメントはほとんどこの首長竜が登場するラストシーンの一歩手前に関するものが多かった。

首長竜の意味するものについての考察

首長竜の意味するものは何なのか?

本当は原作をちゃんと読む方が良いのかもしれないが、映画を見終わったあとも気になって仕方がなかったので調べてみた。

「バナナフィッシュにうってつけの日」のオマージュ

バナナフィッシュにうってつけの日」(原題: A Perfect Day for Bananafish)はJ・D・サリンジャーの短編小説。1948年1月31日に『ザ・ニューヨーカー』誌で発表された。短編集『ナイン・ストーリーズ』(1953年)の1番目に収められている。シーモア・グラースが初登場する、一連のグラース家物語の嚆矢でもある。本作は『ザ・ニューヨーカー』編集部に高く評価され、作家として注目されるきっかけにもなった

(出典:ウィキペディア)

どうやら、「完全なる首長竜の日」はアメリカの伝説的な小説家J・Dサリンジャーの短編小説集「ナインストーリーズ」に収録されている「バナナフィッシュにうってつけの日」という小説のオマージュらしいことが分かった。

「バナナフィッシュにうってつけの日」は、ウィキペディアの説明にもあるとおり、原題がA Perfect Day for Bananafishだ。

日本語のタイトルは「うってつけの日」と訳されているが、この原題を直訳すると「完全なるバナナフィッシュの日」という意味になる。

タイトルからも「完全なる首長竜の日」「完全なるバナナフィッシュの日」のオマージュの可能性が高い。

ちなみに、オマージュとは「尊敬、敬意」という意味で、今風に言えばリスペクトとなる。

作者の乾緑郎さんがサリンジャーをリスペクトしていて敬意を表しタイトルを少しパクるというか、好きな小説のタイトルを参考にしたというところだろう。

バナナフィッシュと首長竜の意味するもの

このサリンジャーの小説「バナナフィッシュにうってつけの日」のストーリーを簡単に説明すると、戦争の帰還兵である主人公が妻と旅行で来ていたホテルで自分の頭を拳銃で撃ちぬいて自殺してしまうという話だ。

この小説における「バナナフィッシュ」の意味は「バナナ=戦争」「フィッシュ=戦争にいった兵士」だという解釈がある。

小説に出てくる主人公シーモアは、帰還兵で戦争が終わっても戦争中に受けたトラウマを抱えており精神的に不安定な状況だった。

シーモアにとって戦争と兵士の象徴がバナナフィッシュであり自分のトラウマの根源だった。

トラウマの原因は詳しく語られていないが、戦争で人を殺してしまった罪悪感だと思われる。

「映画リアル~完全なる首長竜の日~」に登場する首長竜は罪悪感の象徴であるバナナフィッシュであり、浩市のトラウマの原因になっているのは「MORIOを死なせてしまった罪悪感」であると言える。

それゆえ、浩市の意識の中ではMORIOに対する罪悪感が首長竜の姿で現れ、浩市自身を襲おうとするのだ。

罪悪感という毒が自分を蝕む(むしばむ)

この映画は、自分を殺そうとする首長竜(罪悪感の象徴)を払いのけ、最後はハッピーエンドな結末を迎えるのだが、それで良かったのかは微妙なのだ。

MORIOと首長竜が怒っているのは「2人がMORIOを見殺しにした事」ではなくて、架空の首長竜のせいにして現実逃避し、MORIOが過去に存在していたという記憶さえも心の闇に葬ろうとした事ではないのか。

しかし、そんな2人を責めることは出来ない。

その時の2人は幼すぎて、MORIOの死を受け止めるどころか、その現実から逃げるしかなかったのだから。

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