不思議な話

ヨガや瞑想の起源とされる「尸林の宗教」と悪魔崇拝の儀式

記事を書いていて煮詰まった時には、心を落ち着かせるために瞑想したりしている。

最近ではマインドフルネス瞑想やヨガ健康法などが、私達の生活の中にもすっかり浸透してきている。

ところで、この「瞑想」「ヨガ」の起源について調べてみると、「尸林の宗教」というものとの関係性も見えてきて、とても興味深いものがあった。

この記事では、この瞑想やヨガの元になったとされる「尸林の宗教」についてお伝えする。

尸林(しりん)とは

 

「尸(し)」という文字は「屍(しかばね)」を意味する。

「しりん」と打って、変換しても出てこないのだが、筆者のパソコンだけなのだろうか。

とにかく、難しい文字である。

尸林は墓場であり処刑場だった

 

尸林(しりん)とは中世インドの

  • 墓場
  • 処刑場

のことで、大きな都市に隣接して存在していた。

死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれて、荼毘に付されるか、そのまま放置されて鳥獣に喰われていた。

また、尸林は「処刑場」も兼ねていたため、処刑された罪人の死骸が晒されていたという。

まともな神経も持ち主なら近づかない不吉な場所であり、

  • 野獣が跋扈(ばっこ)する危険な場所
  • 魑魅魍魎(ちみもうりょう)が現れる場所

として恐れられていた。

尸林の宗教とは

 

この尸林には、「尸林の宗教」というものがある。

尸林の宗教では、墓場に女神を祀り、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を使って黒魔術的な儀式がおこなわれていた。

一説によると、瞑想やヨガの起源はインドに伝わる「尸林の宗教」にあると言われているのだ。

尸林の女神

尸林で信仰されていた土着の女神は、それぞれ尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教や仏教の女神として崇拝されていた。

尸林の祠(ほこら)には、巫女が仕えており、女神を供養しながら呪術の仕事を請け負っていたそうである。

また、この尸林の巫女たちが信仰していたのは、インド神話のシヴァ神の神妃サティーと同一視される女神「ドゥルガー」だったらしい。

尸林のダーキニー(茶吉尼)とヨーギニー(喩伽女)

尸林に住む巫女たちは、ダーキニー(茶吉尼)ヨーギニー(喩伽女)と呼ばれていた。

尸林に住む女性のほとんどは、アウトカーストと呼ばれる身分の者で、日本で言えばエタヒニンといった身分制度の最下層に位置する者たちだった。

彼女たちは、昼間は牧畜や工芸などの底辺労働に従事し、夜間は呪術を使うとされていた。

尸林の性魔術儀式

 

尸林の巫女たちは、特定の祭日に集まり、人肉や排泄物といった非日常的な食物を「聖なる供物」として食し、酒を飲み、歌や踊りを楽しむという酒池肉林で、古代ギリシャに伝わる「オルギア」のような秘儀宗教儀式をおこなっていました。

この尸林における代表的な宗教儀式は、「ガナチャクラ」と呼ばれる「性魔術儀式」である。

ガナチャクラの修行には以下のようなモノがあります。

  • 曼荼羅制作
  • 護摩(ごま)
  • 歌舞
  • 供犠
  • 瞑想
  • 性喩伽(ヨガ)

ガナチャクラ(性魔術儀式)の詳細

ガナチャクラは男性1人と女性8人の総勢9名で行われる。

男性は阿闍梨(あじゃり)となり、シヴァ神の最も凶暴な姿を具現化したとされる神バイラヴァを召喚し、8人の女性は女神を召喚し男性を囲む。

そして、天体の運行を模した形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性とヨガ(性行為)をしていく。

一説にはヨガのポーズは、この性魔術儀式が起源だともいわれている。

また、この儀式自体もインド神話のヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)でシヴァ神の妻サティーをバラバラに切断し、地上に落したあと、女神サティーが復活し、シヴァ神と再び1つになったというエピソードが元になっている。

女神サティーがバラバラに切断されて落ちた場所も「尸林」だと言われている。

究極の悟り「梵我一如」に導く

天体運行さながらの、計8回の性行為で発生する宇宙的快楽は、行者を大楽(マハースカ)と呼ばれる大いなる歓び、梵我一如の究極の悟りの境地へ導くとされる。

一説によると梵字(サンスクリット)は、このヨガ(喩伽)のポーズを記号化したモノであるとされ、多くの悪霊や狐(きつね)などの動物霊を呼び寄せる危険な物とされている。

茶吉尼天と稲荷神社

 

空海が日本に密教を伝えた際に、茶吉尼天(ダキニテン)という女神を現在の稲荷神社(いなりじんじゃ)に祀ったという。

前述のとおり、茶吉尼天のモデルは「尸林の巫女」である。

稲荷神社に狐(キツネ)が眷属(神の使い)として祀られているのは、茶吉尼天が起源になっているからだとか。

ダキニテンとダーキニー

ダーキニー(尸林の巫女)は、人肉を喰らいながら裸で踊り狂い、左手には人の内臓を、右手にはもぎ取った手足を持っている姿で描かれている。

一方、稲荷神社に祀られている女神・茶吉尼天(ダキニテン)は優しい姿で、左手には宝玉、右手には剣を持っている。

起源は同じなのに、その扱われ方は対照的で興味深いものがある。

稲荷神社と狐の関係

 

そもそも、なぜ稲荷神社に「狐」が祀られているのか疑問に思った人もいるだろう。

尸林の巫女ダーキニーは、夜になると死肉を漁るジャッカルの変身した姿だと考えられていた。

これは、オオカミやイヌに似ているイヌ科の動物であるジャッカルを「人食いの女神」の眷属(手下)として使っていたところから来ている。

稲荷神社に祀りたかったのは、本当は狐ではなくジャッカルだったのに日本にはジャッカルという動物が存在しない。

そんなわけで、ジャッカルに似た動物として狐が代役に抜擢されたのだ。

まとめ

さすがに、現代のマインドフルネスな瞑想やヨガ健康法などは、古代の儀式とは切り離されていて別物だとは思うのだ。

しかし、その起源を辿れば、古代インドの黒魔術や悪魔崇拝的な妖しい儀式につながっていたりして、何だか不思議な感覚でもあり胸アツなのだ。

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