世の中には、オーパーツ(場違いな工芸品)と呼ばれる発見された「場所」や「時代」とそぐわない不思議なモノがいくつも存在する。
オーパーツとして有名なモノの中の1つに「ピリ・レイスの地図」というモノがある。
この地図の不思議な点は、
- 高度な測量技術のない当時では作ることが不可能
- 地図作成時にはまだ発見されていなかった南極大陸が描かれている
といったものである。
今回はそんな不思議な「ピリ・レイスの地図」をご紹介しよう。
オーパーツとは
「オーパーツ」は、主に出土品などが、考古学上その成立や製造法などが不明とされたり、当時の文明の加工技術や知見では製造が困難あるいは不可能に見える場合に使われる。正式な考古学用語ではなく、そういった出土品の存在を強調し、通説に疑義を唱える意図で主に使われる。
オーパーツは、現代科学の水準を超えるような超古代文明や古代宇宙飛行士説などの根拠とされることがしばしばある。
しかし、例えば現在の感覚では想像がつかないほどの膨大なコスト(時間、人的資源など)を費やして製造した、出土当時の考古学的知識よりもその文明の実際の行動範囲が広かった、後代の発明とされた技術が当時すでに存在していた(あるいは技術が一度見出された後失われた)などの説明が可能である場合がある。
(出典:ウィキペディア)
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ピリ・レイスの地図とは
ピリ・レイスの地図とは1992年にトルコの首都イスタンブールにあるトプカプ宮殿で発見された世界地図である。
この地図は当時の最新知識を導入して作られた航海地図でありガゼルの羊皮紙で作られている。
また、インド洋が描かれていたとされる地図の右半分は失われており、残っているのは大西洋が中心に描かれた左半分のみだ。
コロンブスや南アメリカを調査したアメリゴ・ヴェスプッチの地図が失われている現在ではアメリカ大陸を描いた最古の地図と言われている。
現在もイスタンブールのトプカプ宮殿に保管されているが、一般公開はされていない。
ピリ・レイスの地図を作ったのはオスマン帝国のピリ提督
ピリ・レイスの地図はその名のとおり、ピリ・レイス(ピリ・イブン・ハジ・メムド)という人物が製作した地図のことだ。
ピリはオスマン帝国の海軍軍人で、「レイス」とは「提督」を意味する言葉。
ピリ提督は1513年と1526年に地図を制作し当時のオスマン帝国皇帝セリム1世とスレイマン1世に献上したと伝えられている。
ピリ・レイスの地図に描かれている地域
ピリレイスの地図に描かれている地域は主に大西洋周辺である。
また、当時発見されて間もない南北アメリカ大陸の海岸線や南極大陸と思しき大陸も描かれている。
- イベリア半島
- アフリカ大陸北西部
- 南北アメリカの東海岸
- 南アメリカ
- 南極大陸?
ピリ・レイスの地図がオーパーツとされる理由
ピリ・レイスの地図がオーパーツ扱いされる理由には以下のようなものがある。
南極大陸が描かれている
ピリ・レイスの地図には当時では観測不能とされる南極大陸が描かれている。
というのも、南極大陸が発見されたのは西暦1800年代で、世界の全陸地が地図化されたのは1920年である。
それなのに、この地図の作成当時には発見されていなかった南極大陸が描かれている。
南北アメリカ大陸の海岸線が描かれている
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年。
ピリ・レイスの地図が作られたのは1513年である。
アメリカ大陸発見から20年ほどしか経っていないのに、それほど海岸線の調査が進んでいるわけがないと言われている。
つまり、ありえないと物だと。
衛星写真と地形が見事に一致
この地図の発見は多くの学者の関心を集めた。
中でもアメリカの古地図研究科のアーリントン・マレリーは、ピリレイスの地図に興味を持ち、詳しく分析すると驚くべき事実に気づいた。
それは、地図の南端に見える陸地は氷に覆われる前の南極大陸の海岸線を示していることが分かったという。
しかも、地図の海岸線はエジプトのカイロ上空から撮影した衛星写真の地形と見事に一致していたのだ。
ピリ・レイスの地図は33枚の地図を参考にして作られた
ピリ提督は33枚の地図を参考にして地図を作ったと語っている。
その中には紀元前4世紀のアレキサンダー大王の時代から伝わるモノもあったとされる。
ピリ提督が参考にした地図は以下のものだ。
- イスラム世界の地理学者の地図8枚
- ポルトガルの航海者の地図4枚
- コロンブスの新大陸地図1枚
残りの20枚の地図の詳細は不明である。
ピリ・レイスの地図の元になったアレキサンダー大王の蔵書とは
ピリ・レイスの地図の元になったと言われているモノの中にアレキサンダー大王の時代から伝わる地図がある。
アレキサンダー大王は紀元前4世紀の人物で、古代ギリシャからエジプト、インドまでの広大な土地を領土とするマケドニア王国を支配したことで知られている。
アレクサンドリア図書館
アレキサンダー大王はエジプトにアレクサンドリアという都市を建設した。
のちに、部下の1人であったプトレマイオス1世をはじめとするプトレマイオス朝の人々によってアレクサンドリア図書館が設置された。
アレクサンドリア図書館には70万冊の蔵書があり、世界中から集められた学者たちによって様々な研究がされていた。
この図書館に収められていたアレキサンダー大王の蔵書がオスマン帝国まで流れ着き、ピリ・レイスの地図の元になったとも考えられている。
また、アレキサンダー大王の蔵書の中には約6000年前に作られた地図があったという説もある。
超古代文明による南北アメリカ大陸や南極大陸の知識が遥か昔から存在していたという可能性も考えられるのだ。
大航海時代よりも前に誰かが新大陸発見や南極大陸に到達していた可能性
南北アメリカ大陸が発見されたのは15世紀末の大航海時代。
しかし、それ以前の10世紀には北欧のバイキングが既にアメリカに到達していたとする説やシベリアとアラスカの間でエスキモーが交流をはかっていたという説もある。
さらに、15世紀初頭には古代中国の明の鄭和(ていわ)という人物が船団を率いて7回にわたる遠征を行っており、コロンブスやマゼランよりも前に新大陸発見や世界一周を成し遂げていたという説もあるのだ。
あとがき
ピリ提督が参考にしたという33枚の地図のうち、20枚の地図の内容は未だに明らかになっていない。
そこには一体何が描かれていたのか。
人知を超えた超古代文明の英知が記されていたのだろうか。
そもそも、ピリ・レイスの地図の元になった詳細不明の20枚の地図こそが、オーパーツだったのかもしれない。