現代では、行き過ぎた犯人捜しやバッシング対象への攻撃などを「魔女狩り」と表現することがある。魔女狩りとは魔女と思しき人物に対し、拷問や裁判、死刑などの迫害をおこなう事だ。
古代より各所で魔術を使った疑いのある者に対し制裁が加えられてきた。15世紀になると悪魔と契約した背信者を意味する「魔女」という概念が生まれる。それらがキリスト教社会の破壊を目論んでいるとして「魔女裁判」が実施されるようになる。
かつて、この魔女狩りを遂行する任務にありながら、その過激さゆえ、適正を疑われ職を追われた異端審問官ハインリヒ・クラーメルという人物がいた。順風満帆に見えた彼の人生は天国から地獄へ落とされてしまう。
その後、彼は自分をどん底に落とした魔女に復讐するため「魔女に与える鉄槌」という本を書く。この本は「異端審問官たちの魔女狩りのハンドブック」となり、加熱する魔女狩りをさらに加速させたという。
- 奇書『魔女に与える鉄槌』について
- その著者ハインリヒ・クラーメルについて
魔女に与える鉄槌
『魔女に与える鉄槌』は、おもに中世ヨーロッパで魔女と判断された10万人の人々を焼き尽くす一因となった奇書である。
原題はラテン語で「Malleus Maleficarum」となっている。
奇書とは、「珍しい本・発行部数の少ない本・閲覧機会の限られる本」のこと。現代では書かれている内容が意味不明だったり、何の目的で書かれたのか分からない本も奇書と言われたりする。
作者
この「魔女に与える鉄槌」は次の人物の共著とされている。
- ハインリヒ・クラーメル
- ヤーコブ・シュプレンガー
ハインリヒ・クラーメル
ハインリヒ・クラーメルは、15世紀ドイツのドミニコ会の修道士。異端審問官で『魔女に与える鉄槌』の作者。
ヤコブ・シュプレンガー
ヤコブ・シュプレンガーは、ドイツのドミニコ会士でケルン大学神学部の教授である。シュプレンガーは本書の共同作者とされているが、実はクラーメルと特に仲が良かったわけでもない。
どちらかといえばクラーメルの活動に対し良い感情を持っていなかった。この共著に関しても単に名前を貸しただけの間柄だったのではとされている。
クラーメルは『魔女に与える鉄槌』を書き終えると、神学研究の権威であるケルン大学に本論文を提出し、神学部の教授陣8名から「論文の考察は学術的に正しい」という同意を取り付けようとした。
しかし、その後の研究ではケルン大学から「同意取り消し」の申し出があったとされ、ケルン大学からお墨付きをもらったという話は「クラーメルの作り話の可能性が高い」という。
内容
この『魔女に与える鉄槌』は、著者クラーメルがオーストリアの町インスブルックで経験した「異端審問官の解任という屈辱的な経験」がもとで生まれた。
本書は全三部で構成されていて、次の内容が書かれている。
まさに魔女狩りのハウツー本と呼べるものだった。
- 魔女を見つけ出す技術
- 魔女を自白させる拷問法
- 教義に反しない魔女の処刑方法
怒り狂った男が書き上げた復讐の書
1485年、オーストリアの町インスブルックでクラーメルは異端審問の任に就いていた。彼は魔女の被疑者に自白させるためなら、どんな脅迫や暴力もよしとしていたし、たびたび審問の調書を捏造することもあった。
日に日に過激になる彼のやり口は、市民からだけでなく教会からも疑問視されるようになる。その結果、クラーメル自身が教会から取り調べを受ける羽目になり、「適正ナシ」の烙印を押され、教区から追放された。
幼少期から神学に真摯に向き合い優秀な成績をおさめてきた彼にとって、これは人生で初めて味わった屈辱的な挫折といえた。経歴に傷がついたことに怒りがおさまらない彼は、これまで異端審問官として得た知識をもとに魔女に与える鉄槌を書き上げた。
クラーメルの女性に対する不信感が垣間見れる
異端審問官の解任後、ただならぬ執念により書かれた『魔女に与える鉄槌』からは、クラーメルの女性に対する不信感が尋常なものではなかったのではと推察される。
「魔女」という言葉には「女」という文字が入っているが、当時、魔術を使って悪さをするとされた者は必ずしも女性とは限らなかった。
しかし、クラーメルは本書で「maleficarum」などの女性名詞を使用して、女性に関する記述を多く記している。これが以前からあった「witch(ウィッチ)とは魔女である」というイメージをさらに強めることになったと考えるものもいる。
『魔女に与える鉄槌』が魔女狩りに影響を与えるようになった要因
ただの異端審問官の1人にすぎない男が怒りと恨みに任せて書いた本『魔女に与える鉄槌』。この本は、なぜ15世紀から16世紀における魔女狩りに影響を与えるほどになったのだろうか。
それには次のような理由がある。
- 権威からのお墨付きを利用した
- 印刷技術の進歩による大量生産
- 魔女に関する記述が当時の社会不安とぴったり合致した
①『限りなき願いをもって求める』という教会教書を悪用した
『魔女に与える鉄槌』の冒頭には『限りなき願いをもって求める』という題名の教会教書が添付されている。
この文書は当時のローマ教皇イノケンティウス8世が著したもので、「魔女の存在と脅威について」と「クラーメルに魔女狩りをおこなう権限を与える」と記されていた。
しかし、この文書は『魔女に与える鉄槌』が書かれる2年前にクラーメル本人に対して与えられたもので、魔女狩りの手引書に教皇のお墨付きを与えたものではなかった。
教皇の書いた教書は神の言葉と同等の権威を持っている。クラーメルが序文にローマ教皇から授かった教書を悪用することで、『魔女に与える鉄槌』は教皇のお墨付きを得た本だと勘違いさせ、爆発的に普及していった。
②印刷技術の発達により大量生産された
これまでの書物といえば、手書きで複製する原始的なものだった。しかし、この時代に新たに活版印刷技術が出現したことで『魔女に与える鉄槌』が世に広まる後押しをしたと考えられている。
この本が出版された1486年は活版印刷が実用化されてから30年たっていることもあり、書籍印刷ブームが到来した時代だった。
③社会不安と合致したことで起きた悲劇
『魔女に与える鉄槌』が出版された時代には、「ペストの流行」や「小氷期による気候変動」がヨーロッパ全土を襲い、人々は病に倒れ、寒さに弱い農作物は次々と枯れていった。
それは、まさに「終末の世」とも呼べる光景で社会には不安がまん延していた。
そんな時、「この世の悪はすべて魔女のせい」や「魔女の増加が終末をもたらす」と書かれた本は終末の到来に怯えていた当時の人々の心理とぴったりハマってしまったのだ。
人々の犯人探しはやがて魔女狩りとなる
村人たちは身の回りで起きた不幸に対して、明確な「犯人探し」を始めた。
疫病が流行すれば「酒場の女主人が毒を混ぜたに違いない」と疑い、産後の女性が熱で死ねば、「産婆が魔術を使ったからだ」と告発した。
『魔女に与える鉄槌』がヨーロッパ全土に広まるにつれ、庶民はペストや戦争、天災などへの不安や怒りの矛先を「魔女というスケープゴート」に向けることで魔女狩りの被害を加速させていった。
あとがき
そこには、キリスト教社会にあだなす魔女を狩りたいというよりも、クラーメル個人の経験に起因する女性憎悪からくる女性狩りの欲求があるのではないかと邪推しそうになる。
被疑者への度を越した制裁により、異端審問官を解任され、怒りに震えながら『魔女に与える鉄槌』をもって復讐しようとするも、そこは人を呪わば穴二つ。
その後も異端を取り締まる権限を与えられたというが魔女狩りで彼が成果を上げたという記録は残っておらず、名誉挽回とはいかなかったようである。魔女を火あぶりにしようとした業火で彼自身も焼かれたということだろうか。
参考:三崎律日著「奇書の世界史」