諫言とは、「家臣(部下・子供)が主君(上司・親)を諌める発言」のこと。
江戸時代の日本でも、間違った主君に家臣が忠告することがあった。
諫言の思想は古代中国の儒教の経典『論語』でも論じられている。
論語にみる諫言
古代中国の経典『論語』には、孔子とその弟子・子路の諫言についての対話が記されている。そこで孔子は弟子の質問にこのように答えている。
主君が間違っているなら、その主君につかえる(忠誠を尽くす)家臣は主君に逆らってでも諌めなければならない。
主君(上司・親)が過ちを犯したら、家臣(部下・子供)がそれを諌めるのが家臣の忠誠心だと伝えている。
子供が親に諫言する場合
たとえ親子の関係であっても、場合によっては諫言しなければならない場面もあるかもしれない。
親子関係における諫言については次のように答えている。
父母が誤りを犯しそうなら、失礼にならないように注意しながら丁寧に諫言しなさい。
諫言が聞き入れられない場合
だがしかし、主君がどのように振る舞ったとしても無条件に家臣は主君の言うことを聞かなければならない、というスタンスを儒教はとらない。
諫言を主君や親が聞き入れてくれない場合、その家臣や子供はどうすべきだろうか。主従関係と親子関係、それぞれについての対処法を儒教は伝えている。
主従関係の場合
主君と家臣といった主従関係では対応が異なっている。
それは「家臣が三度忠告しても主君が聞き入れないなら、その主君のもとから去れ」というものだ。
これを前回の記事に登場した経済学者ハーシュマンの言葉を借りれば、「主君が発言を聞き入れない場合、家臣が離脱しても構わない」ということになるのだろう。
親子関係の場合
子供が三度忠告しても親が聞き入れない場合、子供は泣く泣く親に従わなければならない、という。
これは、親子関係を基礎としている「家」の秩序を乱してはならないと考えるからである。
この伝統的な「家」という概念も昨今では時代錯誤的なものになりつつあり、現代社会にそぐわないという見方もある。
あとがき
諫言とは、「主君(上司・親)を諌める発言」のこと。
儒教では、主従関係や親子関係における諫言について次のように考えている。
- 主従関係:家臣が主君に三回諫言しても聞く耳を持たない場合、その主君の元から去ってもよい
- 親子関係:三回諫言しても聞く耳を持たない場合は不服でも親に従わなければならない(家の秩序のため)