地中海沿岸の港町を見下ろす小高い丘に、その荘厳な建物があった。
かつて、カリア国を治めたマウソロスとその妻アルテミシアの遺骸を安置するために建てられたマウソロス霊廟(墓)である。
ギリシャ人建築家が設計し、同じく古代ギリシャの有名な4人の彫刻家により装飾が施された建築物は、その壮麗な佇まいから「古代の世界七不思議」の一つに数えられていた。
マウソロス霊廟
アルテミシアは、夫の死を尊び、世界でもっとも美しいと称される霊廟を造ることにした。
しかし、実際にはマウソロスが生存中に建造工事は開始されていたという説もある。
彼の死から3年後、アルテミシアの死から1年後の紀元前350年に霊廟は完成した。
巨大な墓を意味する「マウソレウム(mausoleum)」という言葉も、この霊廟を由来としている。
マウソロス霊廟の興亡
2人の遺灰を収めた霊廟は数世紀に渡り破壊を免れた。
ハリカルナッソスが、アレキサンダー大王により陥落した時も、海賊に襲われた時も、廃墟になっても、霊廟は建っていた。
しかし、度重なる地震には勝てず、建物は朽ち果て、15世紀には土台だけが残されていた。
1800年代から発掘調査がおこなわれ、トルコ共和国ボドルム市内には現在も霊廟の廃墟の遺跡が残されている。
マウソロス
小アジア西部には、アケメネス朝ペルシアの領土の1つ「カリア国」があった。
紀元前377年、マウソロスは父からカリア国の知事の職を引き継いだ。
マウソロスは、海沿いに造られたギリシャの諸都市の優秀さに習い、カリア国の首都を港町ハリカルナッソス(現トルコ共和国ボルドム)に置いた。
彼はギリシャ語を話し、ギリシャの生活や文化、政治にあこがれていた。
そして、首都ハリカルナッソスをギリシャに負けないような大都市にするため尽力した。
アルテミシア
マウソロスの妻アルテミシアは、彼の妹でもあった。
カリア国では代々、国を統べるもがその姉妹と結婚するという習わしがあったようである。
これは、近親婚により権力と富を維持するためというのが理由とされている。
また驚くべきことに、彼女は兵法家としての一面を持ち、夫マウソロスの亡き後、ロドス島の軍勢が反乱を起こし、海路から攻め込まれるが、奇策を持ってロドス海軍を撃破し、反乱を鎮圧した。
まさに、戦乙女(いくさおとめ)である。
マウソロス霊廟にまつわる伝説
このマウソロス霊廟にまつわる、それっぽい不思議エピソードを5つ探してみた。
そこまで不思議じゃないだろという異論は認める。
- マウソロスが死ぬ前から実はこの霊廟(墓)の建設の建設は始まっていたのではないかとも言われている
- 妻アルテミシアは夫の遺灰をワインに混ぜて飲んで亡くなった
- 完成前に依頼主が亡くなったのに、建築家たちは工事は中止しなかった
- 屋根に設置された巨大な馬車の彫像の中に夫婦の彫像が乗っていたという伝説がある
- 聖ヨハネ騎士団が霊廟の棺を開けると空だったので略奪犯として疑われる
①霊廟の建造工事がはじまったのは生前か死後か?
霊廟は、マウソロスの死後に妻アルテミシアが建造を計画したとされるが、実際はマウソロスの生存中にすでに工事は始まっていたという説も存在し、着工時期はいったいどっちやねんていう。
②妻アルテミシアは夫の遺灰をワインに混ぜ飲んだ
マウソロスの死から2年後、妻アルテミシアは夫の遺灰をワインに混ぜて飲み息絶えたという伝説が存在する。
ワインに混ぜたのは遺灰だけだったのだろうか。
③完成前に依頼主が亡くなったのに建築家たちは工事を中止しなかった
夫の死後、霊廟の完成を見ぬままに、妻アルテミシアもこの世を去っている。
通常であれば、依頼主を失った建造工事は中止されるはずである。
しかし、建築家たちは工事を中止せず、霊廟を完成させた。
古代ローマの博物学者プリニウスによると、建築家たちは、この霊廟を完成させれば、さらなる名声を手に入れられると考えたためだという。
④屋根の頂上についている馬車の像の中に夫妻の像が乗っていた
霊廟の屋根はピラミッド型で、その頂上には巨大な馬車の像が設置されていた。
そして、この夫婦の彫像が馬車の像の中に乗っていたという伝説があるが、今では何も乗っていなかったという説が有力になっていて、どっちやねんていう。
その根拠としては、ギリシャでは主のいない馬車は主の死を意味することや、発見されたマウソロスとアルテミシアの像が馬車に乗る服装ではなかったことがあげられている。
⑤聖ヨハネ騎士団が霊廟の棺を開けると空だったので略奪犯の疑いをかけられた
15世紀のはじめ、聖ヨハネ騎士団はこの地を征服し、霊廟の残骸を使って巨大要塞を建造した。
その際、霊廟跡の「棺の間」に侵入し、棺を開けると、あるべきはずの宝やマウソロスとアルテミシアの遺体まで無くなっていたという。
騎士たちは近所の住民や海賊の仕業だと主張したが、略奪犯の汚名を着せられるのだった。
その後の1960年に実施された考古学の調査で、聖ヨハネ騎士団が霊廟に立ち入るよりもずっと前に、盗賊がトンネルを掘って侵入し、財宝を略奪していたことが明らかになった。
また、そもそもマウソロスとアルテミシアの遺体は土葬ではなく火葬されたため、棺の間には骨壷だけが存在していたとされている。
現代におけるピラミッド型の屋根の影響
マウソロス霊廟の屋根はピラミッド型をしている。
このデザインは1900年代前半の建築デザインに影響を与えたと言われ、戦争慰霊碑や政府庁舎などに使われている。
ハウスオブテンプル ワシントンD.C.
民事裁判所 セントルイス
ロサンゼルス市庁舎
戦没者慰霊塔 ピッツバーグ
戦没者慰霊塔 メルボルン
国会議事堂 日本
あとがき
マウソロス霊廟が影響を与えたという「ピラミッド型の屋根」って結構いろんな場所にあるんだなと。
有名な何かにも似ている。
あと、なんとなくロサンゼルス市庁舎に卑猥さしか感じない。
気のせいか。
もっと、マウソロス霊廟に敬意を払えと。
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