古今東西、現在過去未来、ごく普通に生活していたら、まずお目にかかる事のない珍しい死に方をした人たちが世の中には存在する。
歴史上の偉人たちの稀有な生き様を刮目せよ!
ということで前回に引きつづき、「奇妙な死に方をした人たち」の「中世編」をお送りする。
第1部【古代編】、第3部【近世編】はこちら。
【奇妙な死に方をした人たち古代編】空から陸ガメが降ってくることもある
【奇妙な死に方をした人たち近世編】ヒゲに生きヒゲに殉ず髭ダンディズムを体現した男
奇妙な死に方をした人たち中世編
①敵の生首に殺された男
892年、ノルウェー王の家来で当時スコットランドのオークニー諸島を治めていたシグルズ・エイステインソンという人物がいた。
倒した敵の首を刈り、馬の鞍にくくりつける風習を「マエル・ブリグド」というが、彼は自分の馬にぶら下げていた「ブリグド」の歯が脚に当たって傷ができ、感染症になって死んだという。
要するに、大将首を突け狙う「妖怪・首おいてけ!」は日本の戦国時代以外にも存在したのである。
②座っていたイスに殺された男
1063年、ハンガリー王ベーラ1世は、兄の前国王だったアンドラーシュが幼い息子に王位を与えた事に激怒すると、反乱を起こして王位の座を奪った。
彼は自宅で座っていた玉座が壊れて落下し、重症を負い死亡したという。
あの春日でさえも生放送中に椅子を壊したことがあるので、玉座と言えども使い方を誤れば命取りだ。
③馬と黒ブタの交通事故の犠牲になった男
1131年、フランスの王太子フィリップは、馬に乗って疾走していたところ、物陰から急に飛び出してきた黒ブタと接触し落馬したのが原因で死亡したという。
要するに、キャンディー的アンソニー落馬事件。
④敷物グルグル巻き馬で踏みつけの刑に処された男
1063年、イスラム帝国アッバース朝の最高指導者ムスタアスィムは、バグダッドの戦いでモンゴル帝国に敗北した。
モンゴル帝国はムスタアスィムを敷物でグルグル巻きにし、馬で踏みつけて処刑したという。
要するに、従兄弟による簀巻きエリオの足蹴の刑。
⑤完全犯罪のため肛門から内臓を焼かれた男
1327年、イングランド王エドワード2世は、奥さんの王妃イザベラさんとその浮気相手のモーティマー伯爵が企てたクーデターにより政権が奪われた。
その後、幽閉されたエドワード2世は、肛門から動物の角と焼いた鉄の棒を差し込まれ外傷を残さずに殺害されたという。
要するに拷問による死。
しかし、学術的な証拠が存在しないため、この話は意図的に広められた噂ではないかと言われている。
⑥ボヘミア王の高貴なるメガンテ
1346年、ボヘミア王ヨハン・ルクセンブルクは盲目の人物だったが、クレシーの戦いで味方の騎兵の手綱と自分の馬の手綱を結んで敵陣に自爆覚悟の特攻を仕掛け戦死した。
要するに、高貴なるメガンテ。
⑦シーツを巻き付ける治療法に殺された男
1387年、中世イベリア半島北東部のナバラ国を治めていた「邪悪王カルロス」ことカルロス2世。
その晩年は重病を患っており、医者の指示により蒸留酒を染み込ませたシーツを巻き付けて療養していた。
しかし、ある時シーツに火が引火する事故が起こり火傷を負った結果死亡したという。
ある者は言う、邪悪王カルロスに神の審判が下ったのだと。
⑧ピエロのジョークで笑い死にした男
1410年、現在のスペイン、イタリア、フランスなどを治めていたアラゴン王マルティン1世は、消化不良と「笑いがコントロールできない」ことが原因で死亡したとされている。
言い伝えによると、マルティン1世はガチョウを1羽丸ごと大人食いした後、寝室で推しのピエロ(宮廷道化師)のボラと会話した。
その時、マルティン1世はボラのかましたジョークが笑いのツボに入ってしまい、そのまま笑い死にしたという。
殺人ピエロにご注意を。
まとめ
年月日 | 場所 | 人物 | 死因 |
1975年 | イングランド | 50歳のレンガ積み職人 | テレビ番組を見ていて笑いが止まらなくなり心不全 |
1989年 | デンマーク | 聴覚学者 | コメディ映画を見ていて笑いながら心停止 |
2003年 | タイ | 52歳のアイスクリーム売り | 寝たまま笑い続けた後、心不全か窒息死 |
今回の中世において珍しい死に方をした8人の中で印象深いものを挙げるとするなら、やはり「笑い死に」だろう。
「笑い死に」とは笑う事が原因で死ぬことだが、その事例は古代ギリシャ時代から現代にかけて記録に残されている。
現代でも「笑い死に」とハッキリ分かっているモノは3件も起きている。
しかしながら、筆者はいつの時代も「笑い」と「ユーモア」が人々を幸福にし、世界に平和をもたらすと信じてやまない。