「炭鉱のカナリア」とは、炭鉱現場に吊るされた鳥かごの中にいるカナリアのこと。
異常なガスの発生を検知すると、鳴いて人にすぐさま知らせる。昔から「物書き」はそのような存在として例えられてきた。
世間一般の人々はそれぞれの日常に埋没して、国会内での出来事に無関心なのがほとんどだ。
だから、この国に住む人々にとっての共通善を侵害するような動きがあったとき、それを真っ先に知らせる存在が必要なのだ。
今回の選挙では惜しくもフタ桁には届かなかったが、多くの人々に危険を知らせる「国会のカナリア」たちが増えたことはたいへん喜ばしいことである。
このカナリアたちは、これからもさらに増え続け、議場から危険なガスが発せられたことを人々に知らせるために鳴き続けるのだろう。
簡単にいえば、舞台とは、周囲を完全に遮断することによって成立する一つの世界、一つの状況論理の場の設定であり、その設定のもとに人びとは演技し、それが演技であることを、演出者と観客の間で隠すことによって、一つの真実が表現されている。端的にいえば、女形は男性であるという「事実」を大声で指摘しつづける者は、そこに存在してはならぬ「非演劇人・非観客」であり、そういう者が存在すれば、それが表現している真実が崩れてしまう世界である。
出典:山本七平著「空気の研究」
国会という茶番の中で唯一、空気を読まず事実を大声で指摘し続ける者たち。それがれいわ新選組である。