1997年7月、タイ国の通貨「バーツ」が暴落した。これによりアジア各国の通貨暴落が連鎖していった。アジア経済危機である。この危機は日本では金融危機の引き金となった。
- インドネシア・韓国:大打撃を受けた
- マレーシア・フィリピン・香港:少なからず打撃を受けた
- 中国・香港:直接的な影響は無し
- 日本:金融危機(1997〜98年)の引き金となる
日本は金融危機
1998年10月の「日本長期信用銀行」の国有化と12月の「日本債権銀行」の国有化は、その流れの中で起きた。
また、このアジア経済危機はアジアだけに留まらず、ロシアやブラジルにも飛び火した。このアジア経済危機はまさにトンデモない危機だった。
- ロシア:1998年8月に財政危機が発生
- ブラジル:1999年1月に通貨危機が発生
ソ連解体と日本のバブル崩壊
1991年12月、旧ソビエト連邦が崩壊、解体されて「ロシア」になった。その新生ロシアには、すぐにゴールドマン・サックスを筆頭にグローバリストたちが乗り込み、国家の富の大半を略奪していった。
これは日本がバブル崩壊で収奪されていた時期と重なる。日本とロシアは同時期に同じ敵を相手にしていた。
このアジア経済危機(通貨暴落)は米国のヘッジファンドをはじめとする機関投資家により引き起こされた。
アジアを襲うヘッジファンドと機関投資家
1990年代、アジア各国は米ドルと自国通貨の為替レートを固定する「ドルペッグ制」を採用していた。世界経済はドル安で為替相場は安定していた。アジア各国は金利を高めに設定し、外国資本の流入を誘導していた。
経済成長を求めるアジア各国には、この金利政策は当然のことだった。そこに米国ヘッジファンドが襲いかかった。ここには米国政府とヘッジファンドの連携があった。1995年以降、米国はドル高政策を採用した。
バブル崩壊で日本経済が下落していく一方で、米国経済は回復に向かった。そのために彼らは日本でバブルを崩壊させた。まさに日本の赤字は米国の黒字だった。それはどのようなメカニズムにより実現されたのだろうか。
アジア危機発生のメカニズム
1995年以降、世界経済は「ドル高」で動き、アジア各国の通貨価値も上昇した。アジア各国の輸出は伸び悩み、海外の投資家は動きを止めた。この状況を米国のヘッジファンドは次のように分析した。
- アジア各国の経済情勢と通貨の価値にズレが生じている
- 各国の通貨が高くなっているのは過大評価である
そこで彼らは各国の通貨に空売りを仕掛けた。するとアジア各国には自国通貨を買い支える力がなかったため、あっという間に各国の通貨は暴落した。
これが1997年にアジア経済危機が発生したメカニズムだった。