マイケル・ロックフェラー失踪事件とニューギニアの首狩り族とは?

不思議な話
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コウです。

 

1961年、オランダ統治下のニューギニアで大富豪ロックフェラー家の御曹司であったマイケルが消息を絶ちました。

  • サメに喰われた
  • 溺死した
  • 首狩り族に喰われた
  • 首狩り族の村で共同生活している

など、彼が消えた理由について注目が集まりました。

当時、ロックフェラー家はメディアを通じて、マイケルの死因はボート転覆による溺死と発表しましたが遺体は見つかっていません。

一部の報道では、現地の「首狩り族」に襲われ食べられたと発表するところもあったようです。

この事件の真相とはいったい?

マイケル・ロックフェラーと事件の経緯

Michael Rockefeller

マイケル・ロックフェラー image:wikipedia

マイケル・ロックフェラーは、かの有名な大富豪ロックフェラー家の御曹司で、ネルソン・ロックフェラーの息子です。

ハーバード大学で民俗学を専攻し、ニューギニアの部族に興味をもち、

  • ダニ族
  • アスマット族

の研究をおこなっていました。

この2部族は、攻撃的な先住民族の「センチネル族」と同様、石器時代のような暮らしを送っていました。

特に、アスマット族は「首狩り」の風習がある部族として有名でした。

そして、原始美術に魅せられていたマイケルは、この民族が作る木彫りの美術品を収集することに躍起になっていたと言います。

乗っていたボートが転覆し消息を絶つ

1961年11月17日、マイケルは仲間のオランダ人と調査を終えて帰ろうとしたところ、乗っていたボートが転覆しました。

現地人ガイドは助けを呼んでくると泳いで陸地へ向かったきり、帰ってきませんでした。

マイケルは「ガイドは戻ってこないかも知れない。自分が助けを呼んでくる」と言い残し、アスマット族のいる岸へと泳いでいったまま消息を絶ったそうです。

父ネルソン・ロックフェラーも現地入りし捜索

Nelson Rockefeller

ネルソン・ロックフェラー image:wikipedia

息子が失踪したというニュースを聞き、父ネルソン・ロックフェラーは現地に入り、大規模な捜索作戦を展開しました。

しかし、マイケルを発見することはできず、行方不明のままフィニッシュを迎えます。

マイケルの死因は溺死と発表

オランダ当局は、マイケルの死を溺死と推測しました。

アスマット族は、これまで白人を殺害したことはなく、友好的に接するため、マイケルが岸へ泳ぎ着いていたなら救助されていると考えていたからです。

その後、マイケルの死は海難事故による溺死であるとメディアで公式発表しました。

しかし、この公式発表を尻目に、実は「マイケルは首狩り族に食い殺された」と報じるメディアも一部にはあったようです。

マイケルは首狩り族に殺され食べられた?

Orang Asmat

アスマット族 image:wikipedia

攻撃的な先住民族としては、北センチネル島に住む「センチネル族」が有名です。

センチネル族に関する記事はこちらです。

【地球最後の秘境・北センチネル島】文明を拒む島はホントに存在するのか?

しかし、センチネル族以外にも「首狩り族」と呼ばれる民族も存在します。

この「アスマット族」がまさにその「首狩り族」で、人を喰らう風習があるそうです。

首狩りの風習

アスマット族の宗教観念は祖先崇拝が中心で、民族に伝わる考え方の特徴は以下のようになっています。

  • 殺した敵の頭蓋骨を枕にして休むと祖先の霊が休まる
  • 木と人間は同じである
  • 木の実を食べる動物はすべて首狩りの対象

つまり、日常的に人間も含めて、生き物を殺して食べるという風習だけでなく、やられたらやり返すというハンムラビ法典的な価値観が存在します。

彼らは、復讐しなければ、殺された祖先の霊が休まらないと考えているからです。

マイケルもそのような風習について当然知っていましたが、この時代にまだそんな特異な文化が残っているはずなどないと、軽く見ていたところもあったようです。

そして、このような風習が残っていたとしても、生きてきた世界、価値観、風習、文化、歴史の違う彼らを我々の側の常識に当てはめることはできません。

マイケル失踪の真相に迫る2人のジャーナリスト

  • サメに喰われた
  • 溺死した
  • 首狩り族に喰われた
  • 首狩り族の村で共同生活している

この事件の真相については、上記のような噂が飛び交い、世間の人々の興味を惹いていました。

そんな中、この謎に終止符を打つため、これまで2人のジャーナリストが立ち上がっています。

  1. ミット・マックリン
  2. カール・ホフマン

①ミット・マックリンの調査

ジャーナリストの「ミット・マックリン」は意を決して、マイケル失踪の真相を探るべく、アスマット族に接触することを決心します。

1969年にアスマット族の村へ行き、アスマット族にマイケルに関する情報を聞き出そうとしましたが、最後までアスマット族は口を開くことは無かったと言います。

結局、ミットは事件の真相を解明できませんでした。

そのかわりに、興味深い話を持って帰ってきます。

それは、マイケルが行方不明になる以前の話でした。

ミットが持ち帰った情報

マイケルがアスマット族に接触するより以前にこんな話ありました。

オランダ政府からアスマット族を調査するよう命じられたチームがあり、リーダーがアスマット族の指導者を含む5人を手にかけていたというのです。

そのことから、当時のことを知るアスマット族は、白人に対し恨みをもっていたのではないかと考えられます。

運悪く、そんな相手に対して、マイケルは助けを求めてしまった。

これが、この事件の真相とされたのです。

②カール・ホフマンの調査

この事件に関する情報は、1969年におこなわれたミットの調査を最後に出てくることはありませんでした。

まあ、確かにおっかなくて、調査に行こうなんて思う人はいないですよね。

そんな中、核心を得たいと考える2人目のジャーナリストがとうとう現れます。

その人物とは「ナショナル・ジオグラフィック」の編集者であるカール・ホフマンでした。

カールは、前知識として以下の資料を頭に入れて、現地に入りました。

  • アスマット族の村に滞在していたオランダ人宣教師の日記
  • オランダ植民地時代の資料

カールはアスマット族と接触し、マイケルについて尋ねると、驚くべきことに彼らはマイケルを憶えていたのです。

その瞬間、カールは確信を持ちました。

「アスマット族は事件の真相を知っている」と。

しかし、事件のついて詳しく聞こうとすると、誰もが口を閉ざしました。

それどころか、明らかに嘘をついているようでした。

1カ月間の共同生活の末、真相に辿り着く?

どうしても、真実を知りたいカールは、1人でアスマットの村に滞在することにします。

カールは、約1カ月間、彼らと共同生活を送り、警戒心を解く努力を続けました。

その甲斐あって、アスマット族はカールに対し、徐々に心を開くようになりました。

そして、ついには事件の真相を語りだしました。

とうとう、事件の真相に辿り着いたカールは、アメリカへ帰国し、本を書きます。

その本には彼が聞いた真相が記されていました。

カールが聞いた真相

事件当日、マイケルは救助を呼ぶため、ボートから陸地へ向かって泳ぎ出しました。

その後、サメなどに襲われることもなく、無事に陸地に辿り着いたといいます。

しかし、安心したのもつかの間、そこには50人ほどのアスマット族が待ち構えており、マイケルは、たちまち取り囲まれてしまいました。

マイケルは、異様な雰囲気を感じ取ると、「自分は来てはいけない所に来てしまった」とようやく理解します。

そして、マイケルはアスマット族に襲われてしまいました。

報復のためのスケープゴート

この事件が起きた原因は、マイケルが現地を訪れる前に起きた、オランダ人によるアスマット族殺害が関係していたと考えられています。

この事件の被害者は、「アスマット族」であり「マイケル」なのです。

仲間を殺されたアスマット族の心の奥底では、外部の者への復讐心が消えることなく燻り続けていたのかも知れません。

そして、そんなところに偶然現れたのが、何も知らないマイケルだったのです。

過去に殺された仲間の仇を打つために、マイケルがスケープゴートにされたのだとすれば悲劇でしかありません。

このアスマット族に限らず、センチネル族の件もそうですが、悲劇を起こす原因は現代人の身勝手な侵略行為なのです。

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コウ

どうも、コウです。
すこぶる天然な妻と二人で暮らしております。
もともと、パソコン修理のカスタマーエンジニアをしていました。
機械いじりやネット関係、謎が謎を呼ぶ不思議な事や妄想する事が好きなので、そのジャンルの情報発信と日常の中で埋没しがちな素朴な疑問を拾い上げ考察します。
えるたそ~と同じで「私、気になります病」を発症しています。
最近、埋もれた何かを掘り起こすとか、闇に葬られた何かとか、治りかけのカサブタを引っぺがすような記事が書けたらいいなと考えています。
要するに、すべてはエンターテインメントである。

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