人間に負けず劣らずの知性を持つとされるシャチ。彼らは集団で獲物をとるコミュニケーション能力の高い生き物であり、その愛くるしい姿から日本の水族館でも人気である。
さかのぼること1977年、シャチを題材にした動物パニック映画『オルカ』が公開された。この映画は妻と子を殺されたオスのシャチが人間に復讐するというストーリーだった。
海外の一部の地域で、シャチたちが船を追いかけ襲撃するという映画顔負けの事件が多発しているというニュースに、一瞬でもこの映画のワンシーンが思い浮かんだのは筆者だけではないはず。
映画とは違い現実のシャチたちは他の動物は襲っても、人間は襲わない生き物として知られているが、今シャチたちに何が起こっているのか。彼らはなぜ船を襲うのだろうか?
シャチが船を襲う理由
シャチの研究グループ「GTOA」のアルフレッド・ロペス氏によれば、このシャチの奇怪な行動が見られるのはイベリア半島地域だけだという。
多くの研究者たちも、シャチがなぜ船を追いかけ回すのかの答えにたどり着いてはいない。
シャチが船を襲う理由として次の2つの説が挙げられている。
- 遊びの一種とする説
- 復讐・報復説
シャチが新しい「遊び」を生み出したとする説、これはイルカがよくやる行動として知られている。そしてこの遊びには流行があるという。
そして、復讐あるいは報復とする説は、シャチが過去に船と衝突した際に経験した苦い思い出に対する攻撃的な反応であるとするものだ。
研究者たちはシャチが船の舵を好んで攻撃し、時には歯を船体に擦りつけていることに気づいた。このような攻撃により舵を折られることが多く当然、船は航行不能になる。
とはいえ、シャチが船を沈没させるほどの被害を与えたケースは今のところたったの3件であり、いずれも乗組員は無事救助されているのでシャチ愛好家の皆さんは安心してほしい。
シャチが船を襲う事件が多発
イベリア地域に生息するシャチの個体群は絶滅の危機に瀕している。2011年に実施された調査では39頭しかいなかった。
つづく2014年の調査によると、この個体群は彼らの主要な獲物である大西洋のクロマグロの回遊ルートに沿って移動しており、そのルートは人間の漁業や軍事活動、レジャーボートなどの人間が活動するエリアと非常に接近している。
単独か、あるいは群れでシャチが船の船体や舵に突進する事件が過去2年間で3倍に増えていると研究者たちは語るが、その理由はいまだ明らかになっていない。
ジブラルタル地域でシャチの研究を行っているグループ「GTOA」の報告によれば、2020年7月から11月にかけて同じような事件が52件、2022年には207件、海上レースでは少なくとも3件の沈没被害が起きている。
シャチが国際レース中のヨットを攻撃
2023年6月22日、ヨットの世界一周レースに出場していたオランダのチーム「JAJO」のクルーとポルトガルのチーム「Mirpuri Trifork Racing」のクルーは14時50分頃、大西洋のジブラルタル西方を航行中にシャチの群れに遭遇した。
チームJAJOのイェルマー・ヴァン・ビーク選手は次のように語っている。
幸い両チームともヨットに損傷はなく、ケガ人も出なかったが、シャチたちはボートを押したり揺らしたり、舵に触れたり噛んだりしていたという。
シャチは2度船を揺らす
2020年と2022年の2度もシャチに襲われたダン・クリッツ氏は、この襲撃事件について次のように語っている。
「一度目の遭遇では、シャチたちが船の下で会話しているのが聞こえた」
「二度目の遭遇は、より忍び足で船に近づいてきたように思う。そして、両方の舵を破壊するのにそう時間は掛からなかった。おそらく、彼らは船の動きを止めるにはどうすれば良いのかを明らかに知っているようだった」
クリッツ氏の船が初めてシャチの群れに遭遇したのは2020年、スペイン‐モロッコ間を走るジブラルタル海峡を通ってヨットを届けに行く途中だった。
8頭のシャチに取り囲まれ1時間ほど船を押されたり揺らされたりしたが、しばらくすると彼らはいなくなった。
そして4月になり、カナリア諸島付近を航行中に同じことが起きた。シャチによる船への攻撃は15分ほど続いたが、しばらくすると彼らは居なくなった。安心しスペイン海岸へ向かおうとした途端、彼らは再び戻ってきた。
一頭の大人のメスのシャチはクリッツ氏の船を追いかけ、その数分後、ボートの下に潜り込みグラスファイバーでできた舵の残りの部分を噛みちぎった。彼女は船が完全に航行不能になったことを確認すると姿を消した。
出典:Boat captain twice ambushed by pod of orcas says “they knew exactly what they are doing”/CBC NEWS
ホワイト・グラディスの報復
2020年、研究者たちが9頭のシャチが船を攻撃するのを調べた結果、主に下記の2つのシャチのグループが船を攻撃していることがわかった。
- 3頭の子供のシャチにたまに4頭目が加わることがあるグループ
- ホワイト・グラディスという名の母シャチとその子供2頭と姉妹2頭からなる計5頭の混成グループ
あるとき、ホワイト・グラディスが釣り糸に絡まり危険な目にあった時から、船を敵視するようになったのではないかと研究者たちは推測している。
シャチの研究グループ「GTOA」のアルフレッド・ロペス氏によれば、イベリア半島地域にいる他のシャチたちも釣り糸に絡まったり、船との衝突によって負傷しているという。
これらのことから、間接的であるにせよ、人間の活動がシャチたちのこのような行動の起因となる可能性があることを認識しなくてはならないとロペス氏は言う。
シャチは人間に敵意を持っているわけではない
「シャチは人間に対し敵意を持っているわけではない」とシャチの報復説を真っ向から否定するのはワシントン州を拠点とするシャチの保護団体の研究者デボラ・ガイルズ氏だ。
ガイルズ氏は被害にあった船の乗組員が全員無事に救出されていることから、このシャチの不可解な行動は人間に対する報復や復讐を目的としたものではないと推測している。
幼いシャチを捕獲し水族館へ
彼女は、1960から1970年代にかけて人間がワシントン州とオレゴン州の沿岸付近でシャチに執拗な嫌がらせをし、若いシャチを捕獲しては水族館の見せ物にするために連れ去ったことを例に挙げている。
人間はこの場所で多くのシャチを何度も何度も捕獲していた。シャチの母親は自分の赤ん坊や子供のシャチが人間に捕獲されトラックで連れ去られるのを目の当たりにしていた。それでも、このシャチたちは船や人間を襲うことはなかった。
イベリア半島付近のシャチたちが船と接触し、嫌な思いをしたことで船に過剰反応している可能性はあるが、その原因を動物に求めることは全てただの憶測に過ぎないとガイルズ氏は言う。
人間の感覚からすれば、このシャチの行動はある原因の結果、学習されたものであるように思えるが、本当は大した理由などなく、シャチたちの中でただ新しい遊びが流行しているだけだと彼女は考えている。
頭に死んだ鮭を乗せて遊ぶイルカたち
流行に乗ろうとするのは人間の専売特許ではない。人間同様、シャチの流行も子供からはじまることが多い。これについてガイルズ氏はイルカ達の不可思議な遊びの流行について例を挙げている。
毎年、夏から秋にかけてワシントンのピュージェット湾を航行する「ミナミハンドウイルカ」の一部は1987年の夏、死んでいる鮭を頭に被って過ごしていた。
イルカ界隈で鮭の帽子が大流行した理由は不明だが、その行動は数か月続いたのち廃れた。
シャチはプロペラが作り出す水圧がお好き?
スペインに拠点を置く、鯨類の研究グループ「CIRCE」で代表を務めるレナード・デ・ステファニス氏は、「シャチは船のプロペラが作り出す水圧を顔に当てることが好きである」という仮説を立てている。
だから、エンジンをかけていない船と遭遇するとイライラして舵を壊してしまうのだとステファニス氏は説明する。
また、ステファニス氏はスペインとポルトガルの沿岸に生息するシャチの数は少なく、船に被害を与えているのは、ほんの数頭のオスの子供のシャチだと考えている。
若いオスのシャチたちは、年をとるにつれてグループの狩りを手伝う必要があるので、船にちょっかいを出す時間は減っていく。これは、シャチが子供のあいだだけに興じる遊びで、彼らが成長し大人になれば自然とその遊びを卒業するとステファニス氏は推測している。
シャチは流行を作り出す生き物
ブリティッシュコロンビア州の調査機関「Bay Cetology」の責任者ジャレット・タワーズ氏は、船の動く部分がシャチを刺激するのではと推測している。おそらく、それがシャチたちの攻撃が舵に集中している理由ではないかと考えている。
また、シャチの社会では、ときおり、こんなゲームや遊びが流行ったり廃れたりすることがあるという。
例えば、現在タワーズ氏が太平洋で調査しているシャチのグループは、子供のオスがエビやカニを捕獲する罠で遊んでいて、それがそのシャチたちのここ数年の流行りだという。
あとがき
被害にあったヨットチームは、シャチたちの不思議な行動を水中カメラで捉えている。
数分間、シャチが自らの頭部で船の舵を撫でる、触れるようなしぐさを見せると静かにその場を立ち去っている。
一度目の遭遇で下調べを済ませ、2度目の遭遇で仕留める。彼らは乗組員を襲うことはないが、どうすれば船の動きを止められるのかを知っている。シャチは2度船を揺らす。彼らの遊びはまだ終わらない。