不思議な話

【マリリン・モンローの死】彼女は謎により永遠に生き続ける

1962年8月5日、米国の女優マリリン・モンローは自宅のベッドで息をひきとった。36歳という若さであった。

彼女は1950~1960年代の米国映画で典型的な金髪美女を演じ、人気のセックスシンボルの1人となった。

活動期間はわずか10年だったが、彼女の出演した映画の興行収入の総計は2億ドル。現代の貨幣価値に換算すると20億ドル(約2800億円)にのぼった。

公式の発表では「薬物の過剰摂取による自殺」とされているが、その死因に異論を唱える者たちが存在する。

薬物による自殺でないとするなら彼女の死因はいったい何なのだろうか。

マリリン・モンローの死因

  • 本名:ノーマ・ジーン・モーテンソン(Norma Jeane Mortenson)
  • 没年月日:1962年8月5日(36歳没)
  • 場所:ロサンゼルスの自宅
  • 死因:睡眠薬バルビタールの過剰服用による事故死、もしくは自殺

1962年8月5日、家政婦のユーニス・マレーは午前3時に目が覚めると、マリリンの寝室のドアの下から明かりが漏れていることに気づいた。不審に思ったマレーはノックして声をかけたが応答はなくドアには鍵がかかっていたという。

マレーはマリリンの精神科医ラルフ・グリーンソンに連絡すると、グリーンソンはすぐに主治医のハイマン・エンゲルバーグに連絡をとり、3時50分頃、2人の医師はマリリン宅に到着した。

グリーンソンは窓から寝室に入り、マリリンが死んでいるのを発見した。エンゲルバーグは、その場で彼女の死亡宣告をし、4時25分にロサンゼルス市警察に通報された。

マリリンの死因は自殺

検死解剖を担当したのは若き監察医トーマス野口だった。検死番号は「81128」。野口は遺体を「栄養状態のいい36歳の白人女性」と記録した。

検死によりマリリンは前日の「20時30分から22時30分の間」に死亡したと推定され、薬物検査で急性バルビタール中毒の所見が示された。血液や肝臓からも大量の薬物が検出された。

「検死解剖の結果、死因は自殺だと思われる」と公式に発表された。マリリンが誤って過剰摂取した可能性は、彼女の体内から致死量の数倍を超える薬物が検出されたことから否定された。

主治医のエンゲルバーグはマリリンについて感情の浮き沈みが激しく、突然うつ状態になったり、過去にも何度か薬物を過剰摂取していた可能性があると述べた。

これらの事実と遺体に不審な点などがないことから、検死官のトーマス野口は自殺の可能性が高いと判断した。

世間はこの発表を素直に受け入れたように思われた。この結末は虐待を受けていた不幸な幼少期、うつ病、薬物乱用の過去といったマリリンのイメージにぴったりだったのだ。

自殺説を裏付ける要因

36歳を迎えたマリリンは恋と仕事に悩み始める。自殺説を裏付ける要因はたくさんあった。

  • 数回の離婚と男性との不幸な関係
  • 度重なる流産で母親になれなかったこと
  • 最後の2本の主演作がコケて、酒と薬物に依存していた

若さが重視される業界では未来も明るくなかった。彼女はもう36歳で徐々に年を取っていく。

40歳のマリリン・モンローなんて想像できないよと言われはじめていたという。彼女は美しくなければ誰からも愛されないと思っていた。

最後の主演作「女房は生きていた」の撮影現場では彼女が泣いてる姿が頻繁に目撃されていたという。

マリリンの興味深い発言

マリリンの幼い頃の思い出は、統合失調症の母親の顔に枕を押し当てる祖母の姿だった。

マリリンは幸せの絶頂にいたと思ったら、数分で落ち込むことがよくあった。感情の浮き沈みが激しいマリリンは入退院を繰り返した。

薬物中毒だった彼女に精神科の助けが必要なことは誰の目にも明らかだった。マリリンは一度興味深い発言をしている。「私は睡眠薬を握りしめ、ホテルで発見されるタイプの女だ」と。

自殺説への反論

実は当時のマリリン・モンローの生活は地に落ちてなかったという反論もあるようだ。映画「女房は生きていた」を解雇された数日後には、自殺する要因などどこ吹く風。彼女はキャリアを盛り返すべくPR作戦を実施する。

そして死亡する3日前の8月1日、キャリア最高の出演料でフォックスとの再契約を勝ち取った。彼女はハリウッドの映画会社と闘い、勝利を収めた。人生最後の週末、彼女はとても幸せそうで体調も万全だった。

状況が好転し、精力的に活動をはじめていた彼女が自殺するとは考えられないという反論もあるのだ。

マリリン・モンローの死を取り巻く様々な陰謀論

緊急通報を受け、マリリンの家に駆け付けた警察と検死官は不可解な死の現場を発見する。

マリリンは鍵のかかった寝室で受話器を握り、裸でベットに倒れていた。

彼女の死には様々な陰謀説が囁かれている。

事故死説

マリリンの死因が自殺でないとするなら、いったい彼女に何が起きたのか。多くの人がその答えを探し求めていた。その中には彼女は事故死だと考える者もいた。

睡眠薬への耐性がつき効果が出なくなったため、自分でも気づかぬうちに大量に飲んでしまった可能性は考えられる。だが、監察医のトーマス野口の偶然ではありえない血中濃度だとする所見が事故死説を遠ざける。

また、処方箋の誤った組み合わせを疑う人もいた。マリリンの主治医たちが薬を処方する際、確認を取り合わなかった可能性は十分あるが、これもまた決定打にはなっていない。

友人による他殺説

やがて疑いの目はマリリンの精神科医グリーンソンへ向けられる。彼はLAで最も有名な精神科医でおそらく全米屈指の精神分析医だった。

彼が現場で何をしたにせよ、それは善意による行為だったはずだ。彼はマリリンを救おうとしていた。だが医者と患者の一線を越え、彼女を愛してしまった。実際にマリリンと恋愛関係にあったわけではないが、おそらくグリーンソンはそれを望んでいた。

死の直前、そんなグリーンソンにマリリンは不満を抱き、愛想を尽かしていたのは事実だ。だが彼が捨てられるのを恐れ、マリリンを殺したという説は、あまりに突飛すぎる。彼にはマリリンを殺す理由がない。

CIAによる暗殺説

CIAがマリリン・モンローを監視していたのはジョン・F・ケネディ大統領の愛人だったからだ。極秘事項を知り、国家安全保障上の脅威になる可能性があったからだ。

FBIおよびCIAは彼女を盗聴していた。その本来の目的はゴシップなどではなく、共産主義者との関わりを示す証拠を手に入れることだったとも言われている。

彼らはマリリンを共産主義者のシンパだと疑っていた。彼女が共産主義者と関わり、国家機密を知っていたとなると、それは国家安全保障上の観点からもおのずとCIA案件となる。

別荘での密会

JFKの義弟で俳優のピーター・ローフォードはサンタモニカの別荘で頻繁にパーティーを開いていた。

そこはJFKにとって人目を気にせず過ごせる場所でマリリンもよくこの場所を訪れていた。

ある時、別荘へ行くと、ことを致す前か致した後かは分からないが、JFKとマリリンがシャワールームから裸で出てくるところを目撃したと民主党の幹部は伝記作家の取材で話していた。

盗聴の噂

私立探偵のフレッド・オターシュによれば、JFKはマフィアや政敵からも狙われていたため弱みを握ろうとマリリンが各方面から盗聴されていたのは事実だという。

彼もマリリン宅のカーペットの下やシャンデリアなどに盗聴器を仕掛けたことがあるそうだ。

当時、政府を敵に回していた全米労組のトップであるジミー・ホッファもケネディを脅迫するネタを探していたようである。

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破局

1960~1961年にかけて、マリリンはJFKとの結婚を真剣に考えていたという。彼女はJFKが妻のジャクリーンを捨てて、自分と結婚すると信じ込んでいた。

しかし、相手はカトリック教徒で既婚の大統領。次第にJFKはマリリンと距離を置くようになり、彼女は打ちのめされた。この頃、精神的に不安定になったマリリンを政府が危険人物とみなし始めたと考えられている。

マリリンが大統領との交際で機密を知り、FBIのフーバー長官が監視していたことは間違いないという。フーバーとケネディ家はまさに犬猿の仲だった。フーバーは1940年代からJFKの監視を続けており、調査ファイルを作っていた。

共産主義者との関係

FBIがマリリンを盗聴する目的は共産主義者との関係を示す証拠を手に入れることだった。情報提供者はマリリン・モンローの政治観を左派と特徴づけた。

マリリンは人々が思うよりも遥かに政治的で、リベラル派(自由主義者)の彼女をFBIは共産主義のシンパ(sympathizer:支持者)だと疑っていた。そんな中、彼女はメキシコで亡命中の米国人共産主義者と密会する。

それは当時の冷戦下では、かなり危険な行為だった。マリリンは共産主義者と関わり、国家機密も知っていたとすれば、CIAには彼女を殺すだけの十分な動機があるといえるだろう。

マリリンの死は、ピッグス湾事件(1961年4月)とキューバ危機(1962年10月)という冷戦の緊張が高まっていた時期に起きた。ケネディ政権を揺るがす情報を彼女が知っていた可能性は十分ある。

政府による暗殺説に懐疑的

FBIがフーバー長官に渡した報告書の中に「マリリンが水爆実験について大統領に聞いた」と書かれていた。目を疑うような一文が記されていたが、政府による暗殺説に多くの者たちは懐疑的である。

それは、ケネディ兄弟が罪に問われる危険を冒してまで、マリリンに国家機密を漏らすほど分別のない愚か者だったとは思えないからだ。

CIAがマリリンの殺害に関与したという説もあるが、それを裏付ける証拠は1つもない。

FBIによる暗殺説

マリリン・モンローは、2つの件でケネディ兄弟を脅していたという説がある。

  1. ロバート・ケネディに不倫関係を続ける、もしくは妻と離婚して自分と結婚すること
  2. JFKの大統領当選がシカゴマフィアの票の不正操作によるものだと暴露すること

FBI長官エドガー・フーヴァーはケネディ家とは不仲だったが、愛国者として米国をスキャンダルから守るため、大統領と映画スターとの問題を解決しようと尽力した。

暗殺計画を遂行し、ケネディ兄弟に恩を売っておけば、フーヴァーはいつまでもFBI長官の座に居座ることが出来ると考えたのかもしれない。

マフィア暗殺説

ケネディ兄弟だけでなく、シカゴマフィアのボスであるサム・ジアンカーナともベッドをともにしたとされるマリリン・モンロー。

彼女はアメリカの最上層部に君臨する人々を破滅させうる何かを知っていた。

マリリンとロバート・ケネディとの不倫関係に終止符が打たれたとき、マフィアは役目の終わった彼女を口封じが必要な制御不能の爆弾だと判断したのだろうか。

カトリック教会による暗殺説

ケネディ家が心から信頼し、CIAやマフィアとつながっていた組織といえばカトリック教会だ。JFKは米国初のカトリック教徒の大統領だった。

一説によれば、教会はJFKを守りたい一心で厄介な元愛人の殺害計画に関与してしまったという噂がある。

また、マリリン・モンローは敬虔とは程遠いがユダヤ教徒だったので、JFKがカトリック教徒だと知った時、2人の関係に未来はないと悟り絶望したという。

メン・イン・ブラックによる暗殺説

マリリン・モンローの殺害犯は、UFOや宇宙人の陰謀を隠蔽するために雇われたエージェント「メン・イン・ブラック」とする説もある。

JFKと親しくなるにつれ、地球外生命体に関する情報を知ってしまったマリリンは、JFKが自分に飽きて離れていくと確信すると、その秘密を暴露しようとした。

どちらにせよ、メン・イン・ブラックが動かざるをえない状況になったのだ。

あとがき

マリリン・モンローはジェームズ・ディーンやエルビス・プレスリーと同じように年を取ることもない。彼らの時間は止まったままで、だからこそ特別な存在ともいえる。

彼女には、まだ見ぬ才能と可能性があったはずだ。彼女は、その美貌と才能で象徴となり、死によって伝説となった。謎の死を遂げたことで彼女は象徴であり続ける。

彼女を超える映画スターは今後現れないと考える人も多い。マリリンの死についての議論が続く限り、人々は彼女を忘れることはない。そう、未来永劫、関心を集め続けるには謎が必要なのだ。

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