ポルトガルの都市ファティマに聖母マリアが現れ、伝えたとされるのが「ファティマの予言」だ。伝えられた予言は3つあり、これまで第一と第二の予言は、すんなり公表された。
しかし、第三の予言だけは内容があまりにもショッキング過ぎたので、長いあいだ公表が控えられていた。
バチカンや歴代教皇により隠されてきた「ファティマ第三の予言」とはいったい何なのか。
- ファティマ第三の予言について
子供たちの前に天使が現れる
1916年の春、ポルトガルの都市ファティマに住む、ルシア、フランシスコ、ジャシンタという3人の子供たちの前に自分のことを天使だと名乗る若者が現れた。
若者は子供たちに、祈りの言葉と身をかがめる祈り方を教えたという。
その後、この天使を名乗る若者との面会はしばらく続いた。
ファティマの予言とは
そして翌年の1917年5月13日、ついに3人の子供たちの前に聖母マリアが現れた。
マリアは子供たちに毎月13日に同じ場所に会いに来るように伝えた。
その後、子供たちは聖母マリアに3つの予言を託された。
第一の予言:死後の地獄の実在について
第一の予言は、人の死後には地獄の世界があるというもの。罪深い生活を送ることで多くの人が、死後に地獄へ送られる。
3人の子供たちは聖母マリアに地獄の光景を見せられ、恐怖を覚えた。地獄は神話などではなくホントに存在していて、死後に全ての人が行く可能性のある場所だという。
一度足を踏み入れてしまったら、二度と出ることは出来ないと語った。
第二の予言:大戦の終わりと勃発
第二の予言は、大戦の終わりと勃発について。
子供たちは、第一次世界大戦が間もなく終わるというメッセージを受け取った。
しかし、人々が生き方を変え、罪を悔い改めないかぎり、もっと大きな戦争が起きてたくさんの人々が犠牲になると聖母マリアに告げられた。
ファティマ第三の予言
聖母マリアが伝えた3つ目の予言、いわゆるファティマ第三の予言は「教皇暗殺」に関するものという公式発表があった。
聖母マリアが、1960年になるまでは第三の予言を公開してはならないと指示していたので、それまで秘密にされてきた。
しかし、教皇庁は1960年になっても第三の予言を公開せず、どういうわけかその40年後の2000年に発表したのだ。
第三の予言が公開されなかった経緯
第三の予言が長い間、公開されない理由については、核戦争や第三次世界大戦に関する予言だからではないのかと考えられてきた。
1960年代に第三の予言を閲覧したローマ教皇ヨハネ23世は、その内容に衝撃を受け予言を再び封印した。
次の教皇になったパウロ6世もやはり予言の内容を目にし数日間、意識を失ったという。そんな経緯もあって、ファティマ第三の予言の公開は40年間先送りにされたのだった。
第三の予言が原因でハイジャック事件も起きていた?
1981年5月2日、カトリック修道士により、アイルランド航空便がハイジャックされた。
犯人の要求は「ファティマ第三の予言の秘密を公開せよ」だった。
ファティマ第三の秘密・教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書
2000年にバチカンが「ファティマ第三の秘密・教皇庁発表によるファティマ第三の秘密」に関する最終公文書を発表した。第三の予言の内容は、公式では教皇暗殺未遂事件に関することという解釈だった。
しかし、上記の公文書では教皇だけでなく「司教・司祭・修道士」など様々な階級の信徒もターゲットになっている。
だから、教皇庁やバチカンの崩壊を予言したものだとも考えられる。
教皇暗殺未遂事件とは?
第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は2度の暗殺未遂に遭遇している。
ファティマ第三の予言は、この暗殺未遂事件のことであるというのがバチカンの公式見解だった。
- 1981年5月13日
- 1982年5月13日
①1981年5月13日の事件
ヨハネ・パウロ二世は、バチカンのサンピエトロ広場でトルコ人マフィアにより銃撃を受ける。銃弾は2発命中し重症を負ったが奇跡的に一命をとりとめた。
ヨハネ・パウロ二世は、2005年に自身の著書で暗殺事件の犯行は共産主義者によるものと発表している。
この事件が起きた5月13日が「ファティマの聖母出現の記念日」だったので、「聖母が弾丸をそらして下さりました」と語っていたそうである。
②1982年5月13日の事件
翌年1982年のファティマの聖母出現の記念日である5月13日。ヨハネ・パウロ二世は、前年の暗殺未遂事件で命を救ってくれた聖母の加護に感謝するためポルトガルのファティマを訪れた。
しかし、今度は反バチカン派のスペイン人のクロン神父に銃剣で襲われてしまった。教皇は負傷したものの命に別状はなく犯人のクロン神父を許して巡礼旅行を続けた。
クロン神父は現行犯逮捕され懲役6年の判決を受け、リスボン刑務所に3年間服役した。
ファティマの奇跡(太陽の奇跡)
ファティマの奇跡とは、「1917年10月13日に聖母マリアが現れて奇跡を行う」という予言を目にするために集まった約7万人の群衆の中で発生した不思議な現象である。
新聞は当時の異常現象の証言を報じている。この異常現象は太陽の異常活動に関するものだった。
- 太陽が空中でダンスしていた
- 太陽がジグザグに動いていた
- 太陽が地上に向かって突進してきた
- 太陽が色とりどりのまばゆい光を放っていた
しかし、当時の世界各地の天文台では、このような太陽の異常な活動は確認していない。
であれば、この時その場にいた群衆全員が同じ幻覚を見ていたことになる。また、その場に居合わせた新聞記者や群衆を散らすために出動していた山岳兵部隊もこの現象を目撃し、その場でキリスト教に回心したという。
さらに、この事件はポルトガルの全ての新聞で大々的に伝えらえ、不思議な現象はこの世の終わりの前兆ではと考える人も多かったという。
3人の子供たちのその後
名前 | 性別 | 当時の年齢 | 享年 |
---|---|---|---|
ルシア | 女 | 10歳 | 97歳 |
フランシスコ | 男 | 8歳 | 10歳 |
ジャシンタ | 男 | 7歳 | 9歳 |
3人の子供たちのその後について。フランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの兄弟は、予言通りにまもなく病死している。
また、1人残ったルシアは修道女になり、予言の内容を教皇庁に伝え続けて97歳で死去した。
聖母マリアに死亡宣告された2人の兄弟の恐怖は計り知れないものがあったと思う。
ジャシンタの遺体は奇跡に認定された
不思議なことにジャシンタの遺体は現在「奇跡認定」され、ファティマ大聖堂に安置されている。
1935年と1951年に墓地から遺体を掘り返したところ、顔の部分はまったく腐敗していなかったという。というか、なぜ墓を掘り起こしたのだろうか。そっちの方が疑問である。
また、奇跡認定といえば、マザーテレサも2回の奇跡を認められバチカンに「聖人認定」されている。
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ファティマ第三の予言は未だに闇の中
ファティマ第三の予言は次のような理由から「バチカンの発表は虚偽あるいは公開されたのは一部だけではないのか」と言われている。
ファティマ第三の予言の真実は未だ闇の中なのだ。
- 2000年に発表された第三の予言は第一・第二の予言よりもスケールが小さ過ぎる
- 1960年代の教皇が絶句し40年間も発表を見送った内容とは到底思えない
- 1981年に起きた教皇暗殺未遂事件と内容が食い違っている