テンプル騎士団は、1120年ごろエルサレムで誕生した修道士結社である。彼らのおもな仕事はヨーロッパから聖地へ訪れる巡礼者たちを護衛することだった。
このテンプル騎士団は、フリーメイソンやイルミナティと関係があるとされる謎の多い組織である。
この記事では、テンプル騎士団と最後の総長ジャック・ド・モレーの呪いについてご紹介する。
- テンプル騎士団について
- 最後の総長ジャック・ド・モレーの呪いについて
テンプル騎士団の現在
「実はテンプル騎士団は逃げ延びて新たな組織を作り、今も活動している」という説がある。
- スコットランドでフリーメイソンを作った
- スイスで国際銀行システムを作った
スコットランドでフリーメイソンを作った
テンプル騎士団の解散後、「メンバーの多くはスコットランドに逃げ延び、そこでフリーメイソンを設立した」という説がある。
テンプル騎士団は消滅せず、スコットランドでフリーメイソンとなり、現在はフリーメイソンに属しながらも独立した組織として活動を続けているというのだ。
これが事実ならスコットランドのフリーメイソンにはテンプル騎士団の末裔たちが含まれている可能性がある。
こうした噂が出るのは「フリーメイソンの儀式の中にテンプル騎士団の痕跡とされるものが見られる」からだ。
フリーメイソンに見られるテンプル騎士団の痕跡
フリーメイソンの儀式の一つである「スコットランド儀礼」は、スコットランドに逃げたテンプル騎士団のスタイルを受け継いだものだと考えられている。
フリーメイソンの中にテンプル騎士団の残党が潜伏していると言われるのは、組織の位階や儀式の一部に、テンプル騎士団のものと思われる痕跡が残されているからだ。
彼らは今も権力のすべてを手放さず、ふたたび表舞台に出ていくチャンスをうかがっているのかもしれない。
テンプル騎士団はスイスへ逃れ国際銀行システムをつくった?
テンプル騎士団の大半はスイスへ逃れ、「かつてヨーロッパ諸国の王を支配した高利貸しの知識と実績を発展させ、世界経済を陰から支配する現在の銀行システムの礎を構築した」という説もある。
これが事実なら「国際銀行家」や「国際金融資本」の中にはテンプル騎士団の末裔がいるということになる。
国際銀行家といわれる者たちは、ほとんど表に出てくることはなく、見えない影響力として活動している。
これら銀行を含めた国際金融資本は国家に見せかけの平和を叫ぶかたわら、武器を与え、戦争を奨励し、資金を提供する陰の扇動者(先導者)として存在している。
戦争とは金融マフィアが、一般大衆という奴隷たちを支配する内在的な仕組みである。
テンプル騎士団の勢力拡大と最後
簡単な年表 | |
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1120年頃 | テンプル騎士団が創設される |
1128年 | 騎士修道会として認可される |
1139年 | 教皇以外のすべての支配の服従から解放され、法的免除と特権が与えられた |
1307年 | テンプル騎士団は異端者認定を受け、悪魔崇拝を自白させられた |
1312年 | 「ヴォクス・イン・エクチェルソ」を発動し、テンプル騎士団は解散 |
テンプル騎士団は、第1回十字軍の終了後の1120年頃にフランスの9人の騎士により創設された。正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち」だった。
1128年、シトー会修道院長のクレルヴォーの聖ベルナルドゥスの尽力もあり、テンプル騎士団は騎士修道会として認可された。
ベルナルドゥスは当時「第2の教皇」とも呼ばれる実力者でテンプル騎士団のメンバーが厳守する「掟」や「清貧の誓い」などを考案した。
おのおのが「私有財産」を持たないようにする「清貧の誓い」を実践することでテンプル騎士団は経済的にも裕福になり、権力を手に入れた。
ローマ教皇に特権を与えられヨーロッパを経済的に支配
1139年には、ローマ教皇イノケンティウス2世がテンプル騎士団は教皇の命令以外は聞かなくても良いとする「特権」を与えたため、支配も法の規制も一切受けることがなくなった。
その後、テンプル騎士団は「暴利をむさぼる高利貸し」となり、ヨーロッパの君主たちを経済的に支配するようになっていった。
テンプル騎士団は法的免除を利用して極秘の会議や儀式を開き、ビジネスを展開していたとされる。
その会議で「悪魔崇拝の儀式」が行われていたのか、それとも「金融戦略会議」が開かれていたのかは、いまだに議論の的になっている。
フィリップ王とクレメンス教皇の陰謀により壊滅に追い込まれる
フランス王フィリップ4世と教皇クレメンス5世は共謀して、テンプル騎士団を壊滅に追い込もうとしていた。
フィリップ4世はテンプル騎士団に「多額の借金」をしており、何とかして踏み倒そうと考えていた。
王と教皇の2人は、金と権力でヨーロッパ中にその勢力を拡大させていたテンプル騎士団を煙たがっていたのだ。
テンプル騎士団を異端認定し悪魔崇拝を自白させた
1307年10月13日、フランス王フィリップ4世は「異端の罪」でテンプル騎士団を拘束する。
金品財産を没収し、「悪魔崇拝」や「魔術」、「十字架踏み」、「入会儀式での不自然な性交の強要(ソドミー)」などの蛮行を拷問により自白させ、不当に罪をかぶせた。
テンプル騎士団は解散
1312年3月22日、教皇クレメンス5世は教皇勅書「ヴォクス・イン・エクチェルソ(天の声)」を発動し、テンプル騎士団を正式に解散させた。
最後の総長ジャック・ド・モレーの呪い
1314年3月19日、テンプル騎士団の最後の総長ジャック・ド・モレーは火あぶりで処刑された。
彼は死の直前、テンプル騎士団壊滅の陰謀を企てたフィリップ王とクレメンス教皇の2人に呪いの言葉を残した。
「お前たちも、年内にあの世に行くだろう」
その言葉どおり、教皇は5週間後、王は8か月後にこの世を去った。