ジミー・ホッファは全米最大級の労働組合「チームスターズ(teamsters)」の組合長であり、その影響力によりマフィアやアメリカ政府からもマークされる人物だった。
1975年に彼は行方不明になり、1982年に死亡宣告を受けたがいまだに死体も見つかっていない。
彼はマフィアに殺されたと考えられている。ホッファの失踪事件はアメリカの都市伝説となっている。彼はなぜ消えたのか、誰が彼を消したのか。
- ホッファはつながりのあったマフィアに殺されたとする説
- 黒人のゴーゴーダンサーとブラジルに逃げたとする説
- 廃棄物処理場へ送られ車のボディの一部になった説
- 産廃施設に埋められた説
- ミシガン湖の底に沈められた説
- フロリダの沼に捨てられた説
- アメリカンフットボールスタジアムのエンドゾーンの下に埋められてた説
<ジミー・ホッファの生涯
- ジミー・ホッファはアメリカ合衆国の労働組合の指導者
- 全米トラック運転手組合チームスターズの委員長を務めた(1957年~1971年)
- チームスターズは1903年に発足した全米最大の労働組合の1つ
- ホッファはマフィアと手を組み、長年にわたり不正行為を働いた
- 1975年に謎の失踪を遂げ、1982年に死亡宣告を受けている
- 組合の現会長ジェームズ・ホッファは息子(任期満了:2022年3月21日)
- teamster(チームスター)の言葉の意味は家畜に引かせる荷車の従者やトラック運転手を意味する。
- ホッファは運転手労働組合のトップに立ったが、彼は運転手の仕事をした経験はない
1913年、ジミー・ホッファはインディアナ州に生まれた。
ホッファの家庭は貧しく、7歳で鉱山技師をしていた父を失うと、より良い就職先を求めて一家はデトロイトに移住した。
1930年、食料品のチェーン店クローガー社で倉庫係の職を得るが、当時の社会は大恐慌で失業者が街にあふれ、労働環境は過酷であり倉庫で一日12時間シフトで働かせれていた。
賃金もまともに支払われずに、現場責任者は些細な理由で人を解雇するような横暴な人物だった。
1931年、ホッファは過酷な労働環境を改善するため、仲間と貨物の積み降ろしをボイコットするストライキを実行した。
配送遅延を恐れた経営者と交渉し労働契約を結ぶことに成功すると、ホッファの設立した組合AFL(アメリカ労働総同盟)は全米の労働組合として認められた。
1932年、ホッファは経営者に屈しないタフさで名が広まり、トラック運転手の組合「チームスターズ」の交渉係として引き抜かれ、1957年に組合長の座を手に入れると、1971年までその職についていた。
ホッファは組合長になると、マフィアとたびたび結託して不法行為に手を染めていた。
そのせいで、1964年には議会でロバート・F・ケネディから組合年金の不正利用や賄賂、陪審員買収などの汚職で追及にあい、1967年に懲役8年の刑でペンシルバニア州の刑務所に収監された。
1970年には、ニクソン大統領の特赦により減刑され、1980年まで組合活動に関わらないことを条件に仮釈放された。
マフィアとズブズブな関係
ホッファとマフィアとの付き合いは1930年代から。
組合の賃上げストライキや政敵排除のためマフィアの協力を取り付け、その見返りとしてマフィアが組合の各支部から、いわゆる「みかじめ料」を徴収することに目をつぶっていた。
出世しデトロイト以外にも活動が広がると、裏社会との人脈も増え、1957年の組合内での委員長選挙では、デトロイト、シカゴ、ニューヨークなどの北米マフィアの強力な支援を取り付けていた。
中央集権方式から地方分権方式へ
ホッファの服役中、チームスターズ労働組合で組合長の代理を務めていたのはフランク・フィッツシモンズという人物だった。
彼は、組合の金を地方支部から本部へと吸い上げるホッファの「中央集権方式」をやめ、本部の権限を地方支部へ分散した。
支部ごとに直接裏金を融通できる「地方分権方式」は、各都市のマフィアに歓迎された。
ホッファはマフィアと付き合い始めた頃、組合は自分が支配しており、マフィアをコントロールできると思っていた。
しかし、ホッファが服役している間、マフィアが使い勝手の良い代役フィッツシモンズをビジネスパートナーに選んだとしても不思議はないのだ。
ホッファ失踪
1975年7月30日、ホッファは誰かに会うためにミシガン州デトロイトのシックスマイルロードにあるマックス・レッドフォックス・レストランに車で向かい、店の駐車場に愛車のポンティアックを残したまま姿を消した。
この店はホッファの行きつけの店だったが、当日は店に入らず、駐車場の北端に車を停めて誰かを待っていたようである。
妻の証言からデトロイトマフィアの幹部アンソニー・ジアカローネに会う約束をしていたとされる。
待ち合わせの間、裏手のモールの店から2回ほど自宅に電話をかけており、駐車場にいる姿が目撃されていて、その際、顔見知りの不動産屋とも言葉を交わしているのだ。
ホッファは1975年に失踪し、家族はすぐに捜索願いを出したが、1982年に死亡宣告された。
FBIの捜査
ホッファは自分の車をレストランの駐車場に置いたまま、知人の車に乗って別の場所に連れていかれ、殺害されたとみられている。
マフィアのジアカローネとトニー・プロヴェンザノが首謀者と疑われたが、2人とも関与を否定した。
いずれも当日のアリバイがあったのだ。
ホッファ失踪のミステリー
全米最大の労働組合のドンが失踪したミステリーは全米の好奇心を呼び起こし、1970年代のポップカルチャーのアイテムの1つになったとも言われる。
失踪から数年間は目撃情報も続き、生存説もあり、当局に尋問された組合関係者や減刑目当てに情報提供するマフィアからは次のような話もきかれた。
コンクリート生き埋め説
2013年には、元マフィアのトニー・ゼリリが殺害を告白するが、FBIが発掘調査をしたところ遺体は発見されなかった。
ゼリリは、ホッファは会食後、シャベルで殴打され、レストラン近くにあるゼリリのいとこが所有する土地に生き埋めにされ、その上をコンクリートで塞がれたと主張した。
フットボールスタジアムの下に埋められた説
1989年、ドナルド・フランコスはアイルランド系ギャングのジミー・クーナンと2人でデトロイト郊外の家でホッファを殺害したとプレイボーイ誌に話した。
彼らは、遺体をバラバラにしてニュージャージー州にあるアメリカンフットボールチーム「ニューヨーク・ジャイアンツ」のスタジアムのコンクリートに埋めたというが、真偽は不明だ。
同僚が罪の告白
2004年には、チームスターズ労働組合での同僚だったフランク・シーランがマフィアのラッセル・ブファリーノの命令でホッファの後頭部を撃ち抜いて殺害したことが、シーランの弁護士による伝記本の中で語られた。
もともとシーランはブファリーノの部下で殺害後の遺体処理は別人がおこなったとされる。
このフランク・シーラン犯人説は2019年に「アイリッシュマン」として映画化された。
シーランは1999年に罪を告白したのち、2003年に死亡している。
ジャッキー・オブライエン説
ホッファ家と親しい仲だったジャッキー・オブライエンという人物も容疑者の1人になっている。
FBIはホッファが乗り込んだ車が目撃証言から、ジアカローネの息子ジョーが所有している車とみて、ジョーを事情聴取すると、当日は車をジャッキー・オブライエンに貸したと供述した。
ジャッキー・オブライエンは、ホッファ家で育ち、養子縁組はしていないがホッファ家の子供といってもいい存在だった。
FBIはオブライエンが車でホッファを拾い、別の場所へ連れていったという線で捜査を進めたが、オブライエンは当日、車を使ったことは認めたが、レストランには行っていないと関与を否定した。
26年後のDNA検査
それから26年の月日が流れ、2001年にDNA検査がおこなわれた。
失踪当時、オブライエンが運転していた車で発見された毛髪が、ホッファのヘアブラシから採取したものと一致したのだ。
ふたたび尋問を受けたオブライエンは、依然として事件とは無関係であると主張した。
オブライエンはマフィアから多額の借金をしていたという話もあるようだが、彼はチームスター(teamster)の名が示すように、大切な荷物を運ぶ「荷車の従者」となったのだろうか。
あとがき
アメリカ政府はホッファの組合活動を警戒していた。
運送業界に影響力のあるチームスターズ労働組合のストライキがアメリカ経済に打撃を与えかねないからだ。
また、ホッファは仮釈放の条件だった「組合活動の禁止」を憲法違反として、国を相手取り裁判に打って出ようとしていた。
権力と金の力で組合を実質支配するだけでなく、国家に対しても挑戦的なホッファの存在は目の上のタンコブだったに違いない。
たまたま、マフィアとアメリカ政府の利害が一致したことが、この事件の迷宮入りを強固なものにしているように見えるのだ。
ジミー・ホッファがどこに眠っているのかは今も謎のままである。
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