アレクサンドリアの大灯台をご存知だろうか?
この灯台は「世界の七不思議」の1つとして数えられている。
いざ戦争が始まれば「近づいてくる敵の船めがけて光を照射し攻撃することができた」という伝説が残っている。
古代のレーザー兵器といったところだろうか。
この記事では、不思議な建造物である「アレクサンドリアの大灯台」について考察する。
アレクサンドリアの大灯台とは
アレクサンドリアの大灯台は、紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリア湾にあるファロス島という埋立地に建てられた。
別名「ファロス島の大灯台」や「アレクサンドリアのファロス」とも呼ばれている。
この大灯台は古代における「世界の七不思議」の1つであり、ギザの大ピラミッドに次いで息の長い建造物だった。
世界の七不思議とは
「世界の七不思議」とは世界中に存在する不思議な建造物のことだ。
オカルトマニアの中にはこれらの建造物が超古代文明の技術によって建設されたオーパーツなのではと考える人も多い。
ちなにみ、アレクサンドリアの大灯台は「古典古代」における世界の七不思議の1つ。
古典古代における世界の七不思議
古典古代における世界の七不思議は以下の7つ。
- ギザの大ピラミッド
- バビロンの空中庭園
- エフェソスのアルテミス神殿
- オリンピアのゼウス像
- ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
- ロドス島の巨像
- アレクサンドリアの大灯台
アレクサンドリアの大灯台を英語で言うと
アレクサンドリアの大灯台は英語で「Lighthouse of Alexandria」という。
灯台は英語で「Lighthouse(ライトハウス)」である。
ちなみに、その他の言語は以下のとおり。
- ギリシャ語・・・Pharos(ファロス)
- フランス語・・・phare
- イタリア語・・・faro
- ポルトガル語・・・farol
- スペイン語・・・faro
これらの言語の起源はどれもラテン語の口語体に起源を持つものなので何となく似ている。
アレクサンドリアの大灯台の歴史的背景
紀元前332年、アレキサンダー大王によりエジプトのナイル河口に都市アレクサンドリアが建造された。
アレキサンダー大王の死後、部下であったプトレマイオス1世がエジプトを統治しプトレマイオス朝を開く。
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アレクサンドリアに灯台が作られた理由
アレクサンドリアはプトレマイオス朝の首都になったが、土地が平坦で船が海から出入りする際に目印になるものが無く不便だった。
そこでプトレマイオス1世は目印となる灯台の建造を決定する。
灯台はプトレマイオス2世の時代に完成した
ギリシャの建築家「クニドスのソストラトス」が灯台の設計から建造の指揮までを任された。
灯台の建造地にはアレクサンドリア湾岸のファロス島が選ばれ、島と港の間には人工的な通路が作られた。
先代プトレマイオス1世が決めた建築工事が完成したのはプトレマイオス2世の時代だった。
アレクサンドリアの大灯台の構造
次にアレクサンドリアの大灯台の構造を見てみる。
大灯台の高さは134メートル
アレクサンドリアの大灯台の高さは約134メートル。
同じく「世界の七不思議」に入っている「ギザの大ピラミッド」の高さは約147メートル。
灯台の建造当時は、ギザのピラミッドの次に地球上で高い人工物の1つだった。
日本で一番高い灯台
ちなみに、現在日本で一番高い灯台は、島根県にある出雲日御碕灯台(いずもひのみさきとうだい)で地上から頂部までが43.65メートルである。
日本一高い灯台と比べてみてもアレクサンドリアの大灯台は約3倍の高さがあり、当時の建築技術の高さに驚かされる。
オーパーツ疑惑が出るのも分かる気がする。
大理石が使われ三層構造で建てられた
灯台の建材には大理石が使われブロック状に切り出したモノを積み上げて作られた。
塔の形状は三層構造
- 上層部・・・円柱形
- 中層部・・・八角柱
- 下層部・・・四角柱
アレクサンドリアの大灯台は、北アフリカの一部地域のイスラム教の建築様式にも影響を与えたのではと言われている。
というのも、モスクに付随する塔の形状がアレクサンドリアの大灯台の三層構造に酷似しているというのだ。
灯台の頂点には鏡が設置されていた
灯台の頂点には鏡が置かれ、日中は太陽光を夜間は炎を燃やして反射させていた。
ローマ時代に作られたコインにもこの光景がデザインされている。
灯台の内部にらせん状の通路
灯台の内部にはらせん状の通路があり、夜間使用される薪(まき)の運搬にはロバが使われていたと考えられている。
アレクサンドリアの大灯台はオーパーツなのか?
アレクサンドリアの大灯台はオーパーツなのではと言われる2つの伝説がある。
①灯台兵器説
海から侵攻する敵めがけて、鏡の反射光を照射し燃やすことができたという話もあり、灯台は戦争に使われた兵器だという伝説がある。
②灯台の光が遠く離れた海岸からも見えた
もう1つの伝説は、灯台の光が約56キロメートル離れた海岸から見る事が出来たというもの。
こちらは可能なのではと考えられている。
というのも、12世紀から13世紀に活躍したイスラムの旅行家イブン・シュバイルの旅行記では大灯台に関して以下のように言及されており、その巨大さに圧倒されていたようである。
- 大灯台は140キロメートル離れたところからでも確認できた
- 灯台の基礎の1辺の長さは約100メートルあった
- 灯台の高さは人の背丈150人分以上あった
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アレクサンドリアの大灯台はなぜ崩壊したのか?
1408年頃、大灯台の跡地には残骸を利用してカイトベイ要塞が建てられた。
これにより、アレクサンドリアの大灯台は完全に消滅したが、崩壊の原因については、いくつかの説があるようだ。
地震説
アレクサンドリアの大灯台は、796年の地震で半壊した。
その後、1303年と1323年に起きた地震で完全に崩壊しており、14世紀の旅行家によれば、崩壊のため灯台の内部に入る事は出来なかったと伝えられている。
いくつかある説の中で、この地震倒壊説が一番有力視されている。
戦争で破壊された説
戦争中に外敵に破壊されたとする説もある。
戦争の際、灯台が軍事的拠点として使用されていたとすれば、敵の集中攻撃のターゲットになる可能性も高かったのではと考えられる。
東ローマ帝国の宣教師が破壊説
10世紀のアラブ人歴史家のよれば、灯台を破壊したのは東ローマ帝国の宣教師だとする説も存在する。
灯台の遺跡が海底から発見される
カイトベイ要塞が建造され、灯台が消滅した後は、しばらく人々の記憶から忘れ去られていた。
しかし、1968年に海底から灯台の一部の遺跡が発見されたあと、1990年代には本格的な調査が行われアレクサンドリアの大灯台の遺跡と断定できる柱や彫像も発見された。
アレクサンドリアの大灯台の跡地は観光スポットになっている
アレクサンドリアの大灯台の跡地は「カイトベイ要塞」という観光スポットになっていて、要塞内部は海洋博物館になっている。
大灯台は14世紀に地震で倒壊し、15世紀後半になり跡地に建材を再利用して要塞が建造された。
あとがき
アレクサンドリアの大灯台は古代における世界七不思議の1つで、不思議な建造物である。
現代の研究者の見解では当時それほどの技術力は無かったとされている。
しかし、この灯台がオーパーツであり、レーザー兵器のように使用されていたとしたら浪漫が止まらない。
また、当時から130メートル越えの塔を建てる技術があったことにも驚きだ。