北センチネル島。
そこは文明から背を向けた未開の地。
この島の民たちは、外部の者や文化に敵対し、島に入ろうとするモノのすべてを阻む。
人類が宇宙に進出し、人工知能が人の仕事を代替しようとするこの現代に、そんな時代の流れに逆行する島が本当に存在するのだろうか?
最近では「北センチネル島出身の芸能人」がいるという噂もあるようだ。
北センチネル島出身の芸能人
なぜか、北センチネル島出身の芸能人がいるという噂がある。
この噂の発端は、人気YouTuberが動画でセンチネル島出身の芸能人が存在すると発信していたことが原因だと考えられるが、いまだその真偽は不明だ。
北センチネル島と検索すると松本伊代という関連ワードが
「北センチネル島」というキーワードで検索するとナゼか「北センチネル島 松本伊代」という関連ワードが出てくる。
言わずもがな、松本伊代さんは、「1980年代」を代表するアイドルの1人で、夫はタレントのヒロミ氏である。
松本伊代さんとセンチネル族の共通点といったら、単純にデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」しか思い浮かびません。
ちなみに、伊代さんは1981年10月にこの曲でデビューを飾っており、東京都大田区の出身だという。
天然キャラ・松本伊代さんの思わず笑ってしまう伝説的なエピソードはこちらです。
北センチネル島をドローンで撮影した映像
この映像のように、北センチネル島をヘリコプターやドローンで撮影したものがYouTubeなどに存在している。
しかし、この映像たちが本物なのかは分からない。
一説では、映像に映っているのはセンチネル族ではなく、南米アマゾンなどの未接触部族なのではという話もある。
なので、フェイク映像の可能性も捨てきれないのだ。
北センチネル島とは
上記の動画には、北センチネル島の島民の様子が収められている。
島の場所
北センチネル島(North Sentinel Island)は、インド洋東部ベンガル湾内に浮かぶ未開の島だ。
インド領アンダマン諸島、南アンダマン島西の約30㎞に位置している。
北センチネル島はインド領
北センチネル島は名目上は「インド領」である。
また、インドが独立するまではイギリスの統治下だった。
とはいっても、島民にとっては島の外の常識など関係ないわけで、どの国に属していようが正直どうでもいい感じだろう。
島の大きさ
この島の面積は約59平方キロメーテル。
目安としては、東京都の管轄に入っている三宅島(みやけじま)が55平方キロメーテルなので、だいたい同じくらいだ。
また、島内で一番高い場所の標高は、122mだとされる。
島の人口
この島には、「約50人~400人」ほどの民が暮らしていると思われ。
なかには、150人というナゼかぴったりの数字が出てくることもあり不思議なのだ。
とにかく、外部の者は島に上陸することが出来ないので、正確な人数は分からない。
先住民センチネル族の起源
この島の先住民である「センチネル族」は、数万年前に「アフリカ」から移住してきたと考えられている。
また、この民族が使う「センチネル語」は、アンダマン諸島の他の部族が話しているどの言語とも大きく違っているという。
そのため、数千年の間、他の島の民族とも交流せずに生きてきたと考えられている。
センチネル族が攻撃的な理由
センチネル族は攻撃性が高いことで有名だ。
1880年の当時、この地域を統治していたイギリスが島を調査し、島民を6人捕らえ、アンダマン諸島で最も栄えている都市「ポートブレア」に連行した。
すると、6人のうち2名が病死したため、残りの4名はすぐに島に戻された。
この件がセンチネル族の攻撃性を高めた原因ではないかと言われている。
その後、20世紀になり、インド政府はアンダマン諸島一帯の先住民たちとの接触を図っていったが、センチネル族だけは海岸から幾度となく矢や槍で攻撃され拒絶されてきた。
つまり、センチネル族は戻ってこなかった仲間の2人が外部の者に殺されたと解釈し、外部の者に心を許してはならないと心に誓ったのではないだろうか。
センチネル族との友好的な接触は2回だけ
そんな超攻撃的なオフェンスを展開し、攻撃は最大の防御を地で行くセンチネル族ですが、これまでに2回だけ血を流さずに接触できたことがあるという。
そんな劇的な無血開城を達成したのは、インド国立人類学研究所チームの皆さんだった。
1度目の訪問
1991年1月に行われた1度目の島への訪問では、弓矢を持った住民に出迎えられた。
研究チームは海岸から少し離れた位置にボートを停め、島へ向けてココナツを流し、話しかけると、島民は受け取ったそうである。
その後、砂浜にボートを上陸させると、島民はボートに興味を抱き触りに来たりしたが、研究チームを村へ案内することはなかったという。
2度目の訪問
その1カ月後には、2度目の訪問がおこなわれた。
今度は大人数で島に押しかけたが、センチネル族は武器も持たずに出迎えてくれたそうだ。
ここでも、島への献上品としてのココナツのやり取りがされただけで、何の進展もなかった。
平和的交流で終わった理由は女性のおかげ?
この時、何事も無く接触出来た理由として、チームの中に女性研究員がいたからではと言われている。
センチネル族の男性たちが、この女性に興味津々だったことから、センチネル族は女好きだという話もある。
北センチネル島の現在の状況
現在、インド政府は以下の理由により、北センチネル島から5キロ圏内は立入り禁止にしている。
- 先住民の独自の生活様式の保護
- 疫病対策
というのも、今まで外部との交流が無かったため、島民は疫病に対する免疫を持っていないと考えられているからだ。
アンダマン諸島の未接触部族にジャラワ族という部族がいたが、外部との接触が増えた結果、伝染病の流行に苦しみ、ついには社会が崩壊したとされる。
このことを踏まえ、インド政府はセンチネル族への接触を中止した。
さまざまな病気の免疫を持つ現代人と違い、センチネル族は普通の風邪を患っただけでも、命取りになるかもしれないのだ。
北センチネル島の上空にいたヘリコプターめがけて矢を放つ
- 2004年・・・島の上空を飛んでいたヘリに向かって矢を放ち威嚇
- 2006年・・・カニの密漁をしていたインド人が矢で射殺される
2004年に起きたスマトラ島沖地震の際には、安否確認のために島の上空を飛んでいたヘリコプターに向かって、島民が矢を放つ姿が目撃されている。
また、2006年には「カニの密漁」をしていた2人のインド人が、寝ている間に船が流され、北センチネル島の海岸に漂着した結果、矢で射殺された。
その後、インド政府は2人の遺体を回収するためにヘリを島へ向かわせるが、島民に矢と槍で攻撃されたため回収を断念したそうだ。
北センチネル島と日本軍の接触はあったのか
北センチネル島が属するアンダマン諸島一帯は、太平洋戦争中の1942年~1945年まで日本軍の占領下だった。
軍の船が島の近くを航行することがあったようだが、当時の日本軍がセンチネル族と接触したという記録は残ってない。
戦時中なのでそんな余裕は無かったのだろう。
北センチネル島で起きた宣教師殺人事件
2018年11月16日ごろ、アメリカ人宣教師のジョン・アレン・チャウさん26歳が、カヌーで北センチネル島へ上陸しようとしたところ、島の先住民に矢で射殺されるという事件が発生した。
チャウさんが北センチネル島に上陸した目的は、「キリスト教の布教活動」だった。
その後、チャウさんにガイドとして雇われていた漁師が、3本の矢を受けたチャウさんの首にロープが巻かれ、海岸を引きずられている様子を見たと証言した。
いまだに、チャウさんの遺体は砂浜に埋められているとの事だが、回収は難しいとされている。
チャウさんが北センチネル島への上陸を試みたのは、これが最初ではなく2016、17年にもおこなっていたという。
北センチネル島にまつわる「やらせ」の噂
立入り禁止区域である北センチネル島に上陸し、被害にあったとされる人々が本当にいるのなら、それは自業自得であり、禁じられた遊びの代償は高くついたといわざるを得ない。
しかし、近年この北センチネル島の存在そのものが「やらせ」なのではないかという声も上がっている。
近年インターネットの発達により、この島の特異性が知れ渡った結果、現地の漁師を高額な報酬で雇い、島が見える場所まで接近しようとする旅行者が後を絶たない。
アンダマン・ニコバル自治州政府は、この島が「観光資源」にならないように厳重に警備をしているという。
しかし、真実はその逆で、これまでに起きた数々の事件もすべて演出であり、この島はある種の「客寄せパンダ」として存在しているのではないかと思えてならないのだ。
関連記事
かつて、ロックフェラー家の御曹司マイケル・ロックフェラーもパプアニューギニアの先住民と接触した後、行方不明になっています。
マイケル・ロックフェラー失踪事件についての記事はこちらです。
関連商品はこちらです