ウォール街が大暴落し、金融大恐慌時代となったとき、米国中央銀行FRBはどう動いたのか。
経済学者は中央銀行やバブル経済をどう捉えていたのか。
米国の経済学者キンドルバーガーは「中央銀行」についてこう書いている。
「中央銀行の業務は、信用の不安定性に規制を加えるために登場した。利益を売ることに従事する私的銀行業を母胎としつつ中央銀行が発展したことは、注目すべき偉業である。1825年までには両者の分業関係が合意されていた。ロンドン及び地方の私的銀行家はブームに資金を提供し、イングランド銀行は危機に際し資金を提供した。中央銀行が存在しなかったアメリカでは、1837年以後、ニューヨークの主要銀行が、信用の不安定性のもとである利潤追従者としての役割と、国の預金の保有者であり、かつその不安定性を監視しなくてはならない役割とのあいだで苦境に立っていた。短期は長期と争い、私益は公益と争った。ニューヨークの銀行が責任ある行動をとることを誰も望まなかった。また、そうすることが彼らの利益となったかどうかは定かではなかった。この問題は、政治、経済、学問、家庭など至る所に存在する一般的な問題である」
『熱狂、崩壊、恐慌』/C・P・キンドルバーガー
キンドルバーガーは中央銀行が民間銀行であることを知っているはずだが、その事実をぼやかそうとしているのか、この話題にはあまり触れたくないように思える。
「私的銀行業を母胎としつつ」と書いているので、その後に何か別の良い組織でも生まれたかのように錯覚する。だが現実には私的銀行を母胎とした、さらに強大な私的銀行(中央銀行)が誕生しただけだった。
彼は米国中央銀行FRBの誕生を「注目すべき偉業である」と評するが、それはあくまで「ロスチャイルド家」にとっての偉業である。
経済学者のあやまち
さらに、キンドルバーガーは市場とバブルについて次のように書いている。
「市場が合理的であれば、定義上不合理である熱狂状態は起こりえないのであろうか。他方、そのような熱狂が起こったとき、政府や中央銀行などは干渉せずに、成り行きに委ねるべきなのか。あるいは救援のために登場し、民間市場が自力では作り出せない安定という公共財を供給する『最後の貸し手』が演ずべき有益な役割が存在するのであろうか。また、最後の貸し手のサービスが、政府もしくは中央銀行のような公的機関によって国内的には提供されるにしても、統一政府が存在しない国際体制に対してはいかなる機関が安定を保障することができるのであろうか」
『熱狂、崩壊、恐慌』/C・P・キンドルバーガー
ここでキンドルバーガーは「中央銀行」を「政府」と並べて「公的機関」と位置づけている。
また「統一政府」を熱望するような記述も見られる。米国中央銀行FRBは支配階級が所有する民間銀行である。
FRBは経済恐慌を抑えようとする勢力ではなく、恐慌を作り出そうとしている勢力だ。
「何よりもまず読者に次のことを打ち明けておかなければならない。私の初期の研究である『大不況下の世界1929-1939』のなかで、私は1929年の不況がきわめて広範囲にわたり、根深く、かつ長引いたのは、国際的な最後の貸し手が存在しなかったからであった、という結論に達した。戦争による疲弊と、1920年代に十分景気が回復しなかったことによる弱体化のため、イギリスは最後の貸し手としての能力を行使できなかったし、アメリカはそのような役割を引き受けようとはしたがらなかった」
『熱狂、崩壊、恐慌』/C・P・キンドルバーガー
キンドルバーガーは真実を語っていない。それがしがらみなのか忖度なのか、睨まれたくないからなのか。
英国中央銀行イングランド銀行も米国中央銀行FRBもロスチャイルドの所有物である。
だから歴史の真実を書くならば、「ロスチャイルド家は最後の貸し手の役割を引き受けようとはしなかった」となるだろう。
あとがき
「簡潔に熱狂と呼ばれる過剰投機とその行き過ぎの反動としての危機、崩壊、あるいは恐慌などの激しい変動は、必ず起こるというわけではないが、少なくとも歴史的には普通にみられる現象である。そして『最後の貸し手』の役割は、曖昧さと矛盾に満ちている」
『熱狂、崩壊、恐慌』/C・P・キンドルバーガー
キンドルバーガーは立場上、中央銀行の役割について「最後の貸し手の役割は、曖昧さと矛盾に満ちている」としか書けなかったのだろう。
だが、そこにあるのは曖昧でも矛盾でもなく、単にロスチャイルド家が意図を持って最後の貸し手の役割を果たさなかっただけだ。
そして、彼らの計画通り、世界大恐慌が発生した。