不思議な話

【マーク・チャップマンの都市伝説】英雄を撃った王様と壁の中の小人

ジョン・レノンを殺害した犯人とされるマーク・チャップマン

そんな彼にも興味深い、いわゆる都市伝説とも呼べるエピソードが存在する。

この記事は、前回の記事「ジョン・レノンの死因 想像してごらん死においやった者たちのことを」に登場するマーク・チャップマンに関する情報を補足するものである。

この記事で取り上げること
  • マーク・チャップマンの都市伝説について

マーク・チャップマンの都市伝説

ビートルズの都市伝説の1つ、「ポール・マッカートニー死亡説」を信じている者たちは、ジョン・レノンの死についても彼らの楽曲やジャケット写真の中からヒントを見出そうとしている。

1967年、アメリカで発売されたビートルズのアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』の付録の写真にはジョン・レノンと「奇妙な看板」が写っていて、そこには以下のように「ある種の予言めいた不思議な言葉」が記されていた。

The best way to go is by MD & C(この世から去る最良の方法はMD&Cによるものだ)

「MD & C」は、「マーク・デイヴィッド・チャップマンの頭文字」だと解釈することもできる。これをただの偶然だと苦笑する者もいれば、陰謀の手がかりだと考える者もいる。

チャップマンの生いたちと壁の中の小人

マーク・チャップマンを心神喪失、または狂人と印象付けるために意図的に作られたのじゃないかとさえ思えるエピソードとして「壁の中の小人」の話がある。

チャップマンは子どもの時から、「自分は寝室の壁の中に住んでいる小人たちを支配する王様だ」という空想にふけっている子どもであった。

彼は小人の存在を作り出し、その王になることで壊れかけていた心のバランスを保っていたのかも知れない。

チャップマンの育った家庭は機能不全家族だった

チャップマンの育った家庭は機能不全家族だった。チャップマンは運動は苦手だったが、「IQが121もある聡明な子ども」だったという。

父親は元アメリカ空軍の軍人だったが退役後には、石油会社で働きながらボーイスカウトのリーダーを務めたり、YMCA(キリスト教非営利団体)でギターの講師をしており、一家は理想的な父親と幸せそうな家族だと世間からは見られていた。

しかし、「素顔の父は妻(チャップマンの母親)に暴力を振るうDV男」であり、マーク・チャップマンとその妹の2人の子どもに対しても愛情を注ぐことはなかった。

非行に走ったチャップマンはライ麦畑でつかまった

高校生になる頃にはドラッグ(麻薬)に手を出し、警察の厄介になることもしばしばだった。だが、ある時キリスト教の教会に通うようになり、素行は一変し真面目になる。

そんな時、友人からすすめられて読むようになったのがサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」である。

今後、この本は彼の心の拠り所となった。

自殺願望とハワイ

卒業後は、クリスチャン向けの奉仕活動をしたり、キリスト教系の大学に通ったりしたが、どれもうまくいかなかった。その頃から彼の中では自殺願望が芽生えていった。

定職に就くこともままならず、そのせいで家族との関係も悪化していき、1977年彼は自殺するために生まれ育ったテキサスからハワイへ向かう決心をする。

しかし、楽園でゆったりとしたリズムで生活を送るうち、いつしか自殺願望は姿を隠し、生きる希望が湧いてきたのだった。

彼は心身が回復した段階で、故郷のテキサスに戻ってみたが、やはり両親と和解することは出来ず、ふたたびハワイに舞い戻ってきた。

排ガス自殺の実行

ハワイの浜辺に車を停め、排気ガス自殺を図ったチャップマンは地元の漁師に助けられ、神に救われたと感じた。

その後、リハビリにより回復すると、ハワイの旅行代理店で働いていた日系アメリカ人のヒロコ・グロリア・アベと出会い結婚する。

幸せの絶頂で人生も上向きかけた矢先、また神経過敏の症状に悩まされるようになり、仕事もクビになった。

飲酒と浪費、節約を繰り返すという、何だかよく分からない異常行動がつづき、ふたたび彼の目の前には空想上の小人も現れるようになった。

沸き上がるジョン・レノンへの殺意

そんな時、チャップマンが読んでいたジョン・レノンの伝記にはジョンの贅沢三昧な生活が描かれていてはらわたが煮えくり返り、どうにも怒りが収まらなかった。

いても立っても居られず、頭に浮かんだジョンの殺害計画を話すと壁の中の小人たちも賛成してくれた。

最初の犯行計画

ジョン・レノン殺害事件の約1年前の1979年10月23日、チャップマンは警備員を辞めると、27日にはハワイで拳銃を買い、30日にジョンの住むニューヨークへ向かうためホノルルを出発した。

これがチャップマンの最初の犯行計画だったが、この時はジョン・レノンにサインをもらっただけで犯行は行われず未遂に終わっている。

ここで、思いとどまっていれば彼にも別の人生が開けていたのかも知れない。

壁の中の小人たちはもういない

マーク・チャップマンは、第二級謀殺の罪で有罪となり、懲役20年から終身刑までの無期刑を宣告されている。

刑務所に収監されてから、20年後の2000年より仮釈放の申請が可能になったが、2020年に11回目の申請が却下され、現在も服役中である。

次回の仮釈放は早くて今年2022年であるが、これまで彼の出所を20年以上も拒み続けてきた理由は以下の4つである。

仮釈放が却下され続ける理由
  1. 出所後ジョン・レノンの遺族(妻子)を襲う可能性がある
  2. チャップマンの言動に謝罪や反省、更生がみられない
  3. ジョン・レノンの妻・オノ・ヨーコ自身が反対している
  4. ジョン・レノンのファンに殺されるおそれがある

多大な影響力を持ち、世界平和の象徴でもあった偉大な英雄を撃った代償はあまりにも高くついたといえる。

これから先、孤独の王様が外の景色を見るためには超えねばならない壁がいくつもあるようだ。

だが、その壁の中にはこれまで王様を助け、助言を与えてくれた小人たちはもういない。

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