不思議な話

【ナイラ証言】湾岸戦争と騙しのプロパガンダ

1990年代が始まると中東で湾岸戦争が勃発した。1990年7月、イラクのフセイン大統領は軍隊を隣国クウェートへ差し向けた。「クウェートがイラクの石油を盗掘している」というのがその理由だった。

侵攻の直前、フセイン大統領エイプリル・グラスビー米国大使と会談していた。そのとき彼女は「米国は中東情勢に口を挟まない」と断言した。その言葉を真に受けたフセインはクウェート侵攻を開始した。

だが米国大使の言葉は「嘘」だった。侵攻が始まると米国は「イラク軍はクウェートから撤退せよ」と叫んだ。

ナイラ証言

湾岸危機の発端はイラク軍によるクウェート侵攻だった。だがそれを湾岸戦争に発展させるには、もう一つの仕掛けが必要だった。

その仕掛けとは「クウェート人少女の米国議会での証言」だった。ナイラと名乗る少女は「イラク軍がクウェートに侵入してきて、病院で寝ている赤ん坊を床に叩きつけるなどの方法で殺害した」と涙ながらに訴えたのだ。

これに世界中が激怒し、湾岸戦争に突入していった。だがここで大きな疑問が残るのだ。「あのクウェート人の少女は誰だったのか」と。そもそも少女はどうやってクウェートから米国に入り、議会までたどり着いたのか。

少女の正体はクウェート大使館の娘だった

少女の名は「アリ・ハリファ・アル・サバーハ」という米国内にあるクウェート大使館の大使の娘だった。

しかも、当時彼女は米国在住でクウェートには住んでなかった。その彼女がイラク軍の残虐行為を目撃できるはずがないのだ。

米国政府は湾岸戦争を起こすために大使の娘を利用した。世界中がこのお芝居に一杯食わされ、多くの命が失われることになった。

レンドン・グループとは

レンドン・グループ(Rendon Group)とは、米国防総省ペンダゴンと契約していたワシントンを拠点とするPR会社であった。

レンドン・グループは「米軍のパナマ侵攻」や「湾岸戦争」、「ユーゴスラビア紛争」など、米軍の軍事作戦のテレビ映りの管理や米国世論が反戦に傾かないように印象操作するなど米政府に協力してきた。

新聞にこの社名が出たのは、2009年8月末に、レンドン・グループがアフガン戦争で従軍取材する記者を、「肯定的」「中立」「否定的」と分類していたことが発覚した時である。

戦争プロパガンダと八百長ビジネス

このプロパガンダを仕掛けたのは、大衆心理を専門とするOSI(戦略的影響担当局)という部署だ。彼らは情報操作を生業とするレンドン・グループと協力して、インチキ芝居のデマ宣伝を作り上げた。

そして、レンドン・グループ傘下だったヒル・アンド・ノウルトン社や大手PR会社ルーダー・フィン社も加わりデマ情報をマスコミに拡散していた。米国の悪魔集団の話はこれだけでは終わらない。

この八百長ビジネスで戦争を引き起こすことに成功したレンドン・グループは政府からその手腕を買われ、経営者シャーロット・ビアーズはアフガニスタン紛争でも国務事務次官(公共外交・広報担当)に抜擢された。

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