朴正煕は第5代−9代韓国大統領(任期:1963-1979)。軍人出身の政治家。軍での最終階級は大韓民国陸軍大将で娘は第18代大統領の朴槿恵である。
政権延命のために手段を選ばず、反政権運動に対して激しい弾圧を加えた。その手段には「陰謀論によるでっち上げ」も含まれていた。
朴正煕大統領にまつわる陰謀論といえば、「民政学連事件」と「人民革命党事件」がある。
民生学連事件と人民革命党事件
1974年4月、ソウルの主要な大学で小規模なデモがおこなわれ、民政学連(全国民主青年学生総連盟)名義のビラがまかれた。
この単なるデモとビラ配りが、まるで「危険な反政府組織が暴力革命でも企てている」かのような陰謀論にでっち上げられ、弾圧されることになった。これが「民青学連事件」である。
この事件も「憲法改正要求運動」と同じく、政府による「緊急措置」が発動され、学生から宗教家、文学者、民主化運動家など180人が拘束され、起訴された。
しかし、事件自体がいい加減な陰謀論に由来するものだったので、不当逮捕の罪状をでっち上げるには限界があった。
そこで、朴政権は1964年に起きた「人民革命党事件」を再利用して事件をでっち上げることにした。
そもそもこの人民革命党事件も「日韓会談に反対する学生組織の背後には人民革命党という組織がある」というでっち上げの陰謀論だっだ。
「かつての人民革命党の残党が再結集し、今回の民政学連を背後で操っていた」という陰謀論に基づいて、追加で73人が拘束、起訴され、そのうち8人が処刑されている。
この2つの事件により、国内では民主化を求める声が更に高まり、韓国に対する国際世論も悪化した。この動きに慌てた朴政権は有罪となった関係者の大部分を特赦により釈放した。
朴正煕政権がこのような陰謀論を利用したのは、国内で共産主義に対する恐怖や嫌悪感が根強く、実際に北朝鮮による武力挑発がおこなわれていたからでもあった。
参考:『社会分断と陰謀論 虚偽情報があふれる時代の解毒剤』/文芸社

