今ちょうど九月だし、辻野弥生さんの著書『福田村事件』とかを読んでると、102年前の関東大震災の時に起こった朝鮮人虐殺の悲劇について振り返ることもできる。
まあたまに、こんな事件は無かったとか言い出す歴史修正主義者が湧いてきたりもするんだけど、イカれてるなあ頭沸いてんなあ大丈夫かこの人、とか考えたりして辟易することもある。
最近の都知事とかもなんかどこ受け狙ってんだろうって言うくらいエレクトリカルに庁舎を光らせてみたり、神宮外苑の木を切ってみたり、それだけじゃ飽き足らないのか、九月になると歴代都知事が送ってた式典の追悼文も頑なに送らなかったりしている。
そんな人たちは、もぎたてのオレンジでもかじりながら、あたかも「これが純日本人の嗜みです」とでも言うように自分たちだけが気持ち良くなるためのファンタジーしか信じない。
きっと某総理の70年談話を涙を浮かべながら聞いていて、僕たちの自虐史観を払拭してくれて、ありがとうとか言っているチョロすぎるあの空っぽな界隈のアホな人達なのだろう、と空に浮かぶまばらな雲を眺めながら不毛な想像に浸ったりしている。
何十年もかけてそんな論争にもケリがついているというのに、いまだに彼らだけはパラレルワールドに住民登録でもされているのか、それともマンデラエフェクトの有効範囲内に取り残されたままなのか、などと考え出すとさらに睡眠時間が減っていくしキリがない。
もういっそのこと、彼らのことを「歴史改ざん主義者」とでも呼ぼうか。お前らは格下げだ島流しにしてやろうか、いやむしろゼノフォビアの連中だけで無人島に集団疎開でもして、鎖国して300年くらい引きこもっていろと言いたくなる。
日本の排外主義が歴史修正主義の変種、亜種であるという指摘もある。つまり歴史修正主義が結果的に排外主義を生み出しているとも言える。日本におけるこの二つの思想は表裏一体、紙一重である。
虐殺については、一次資料を元にした検証がなされている歴史的事実であり、ここでは取り上げることはない。ところで僕は「日本すごい」とか「日本人すごい」とかいう会話とかノリが自身の共感性羞恥を刺激しそうだし、わざとらしくて大嫌いだ。
というか、わざわざ口に出す必要なんてないだろう、と考えてしまう質なのだ。でも関東大震災の際に理性を失った一部の日本人がデマで踊り狂いながら虐殺を繰り広げていた矢先に正反対の行動をとり、群集心理にも飲まれることなく確固たる自分を持ち続けていた本当にすごい日本人も確かにいたんだよね。
今回はそんな人物の話題にときめきドキュン。
朝鮮人の命を救った大川常吉
朝鮮人虐殺が横行した関東大震災の混乱時、301人の朝鮮人の命を救った日本人がいた。
横浜市鶴見区の東漸寺には、その人物「大川常吉」の記念碑が建っている。
震災当時、大川常吉は鶴見警察署の署長をしていた。彼は保護を求めてやってきた大勢の朝鮮人を体を張って守った。
群衆:朝鮮人を殺せ!朝鮮人の見方をする警察なんて叩き潰せ!
と怒号とともに猛り狂う群衆に対し、
大川:よし、君らがそれほどまでに、この大川を信用できないというのなら、仕方がない。朝鮮人を殺す前に、まずこの大川を殺せ。
と言い放ち、さらにこう続ける。
大川:朝鮮人が毒を投入した井戸水を持ってこい、私が先に諸君の前で飲むから、そして異常があれば朝鮮人は諸君に引き渡す。異常がなければ私にあずけよ!
と冷静沈着な態度で興奮状態の群衆を説得したのだ。
出典:辻野弥生著『』
あとがき
昨今の「貧すれば鈍する」を地で行くような情けないギザギザなハートしか持ち合わせていない一部の日本人の排外主義的思考に子守唄でも聴かせるように、かつては大川常吉みたいな強いハートを持ったそんな日本人もいたんだよって声を大にして言いたい。
いちいち口に出して日本人すごいとか言ったりするのが嫌いな僕も、あの喧騒と混乱の中、そんな日本人がいたのかと日本人すごいなと純粋に思ったりする。
なんたらファーストとかではなく、決して口先だけで勇ましい事を言ったりするだけの、さもしい戦闘民族なんかではなくて。そんな日本人がもっと増えてくれたら頼もしいし、誇らしいよな、などと考えている。
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