旧統一教会などの新興宗教勢力は「宗教保守」とか「宗教右翼」などと呼ばれる。
この記事では保守政党の支持基盤となっている宗教保守(日本会議・旧統一教会など)や創価学会などについて見ていく。
新興宗教勢力が政治、その中でも「保守」に接近するのはなぜなのか。
宗教保守
- 新宗教(新興宗教)・・・幕末から近代以降に設立された宗教団体
- 伝統宗教・・・神道や仏教、キリスト教などの幕末以前から日本に存在する宗教団体
新宗教(新興宗教)とは、幕末から近代以降に設立された宗教団体を指す。これに対して神道や仏教、キリスト教などは伝統宗教と呼ばれる。神道は宗教ではないという意見もあるようだ。
- 革新(左派)・・・封建的な因習を破壊、刷新する
- 宗教・・・道徳や因習を作ってきた
これまでの歴史の中で道徳や因習を作ってきた者とそれを刷新しようとする者。革新と宗教は水と油のような関係だった。
理性で社会を構築することを第一とし、伝統的な風習や文化を継続することを「封建的である」と見なす革新派の発想は宗教勢力と折り合いが悪い。
宗教勢力が保守政党と結びつくのは自然のことなのだ。
創価学会
戦中に弾圧を受けた創価学会は戦後の高度成長の波に乗って大躍進した。高度成長は半農国家だった日本の姿を変化させ、農村から都市部に向かっての人口移動を促した。
その中でも都市の生活に馴染めず、孤独を抱えた人々に大きく訴求し、信者の数は数百万人に拡大した。戦後の創価学会の躍進は国家主義的な要素を取り除き、より庶民目線に重きを置いた結果かもしれない。
創価学会は仏教民主主義を掲げる公明党を設立すると、戦後民主主義的な「平和と福祉の党」に発展していった。一時は新進党に合流するなどの経緯もあって、むしろ自民党とは疎遠な関係だった。
ところが1999年1月に自民党と自由党が手を組み、10月には公明党も参加し「自・自・公」の連立政権が成立した。疎遠関係だった自民党と公明党が連立を組んだことは新宗教勢力に大きな衝撃を与えた。
立正佼成会と新宗連
新宗教の中で創価学会に次ぐ規模の教団として立正佼成会がある。
同教団はこれまでの自民党支持を撤回すると、靖国神社参拝について反対の意思を示し、憲法問題も護憲の姿勢に回った。
また、立正佼成会を筆頭に1951年から「新日本宗教団体連合会(新宗連)」が結成されたが、ここに加盟する新宗教の教団(PL教団、円応教、霊波之光など)も自民党支持から退いている。
神社本庁・生長の家などの新宗教
自公連立の影響をもっとも受けたのは、霊友会、佛所護念会教団、生長の家(谷口派)、神社本庁などを中心とする新宗教だった。
- 宏池会・旧経世会系・・・戦後民主主義的な価値観をもつ保守本流
- 清和会・・・戦前からの流れをくむ復興主義的価値観をもつ
これらの教団は戦後も保守的政治姿勢をとってきた。そして自民党の中でも戦前からの流れをくむ復古主義的価値観をもつ清和会を支持した。
そして、神社本庁と生長の家が中心となり結成された政治団体が日本会議である。
神社本庁
神社本庁は全国の神社神主の団体で国家神道の関係上もとから体制寄りであったが、正式に宗教法人格を設立したのは戦後である。
生長の家
谷口雅春を始祖とする生長の家は第二次大戦期に右傾化した。谷口は強烈な国家主義・天皇主義者として知られている。
谷口亡きあとも彼の思想を信奉する人々を「旧生長の家・谷口派」や「旧生長の家」、「本流運動」などと呼ぶ。
日本会議
- 日本の保守系政治団体
- 日本最大の保守主義、国家主義団体
- 政治思想は右派から極右
- 1997年5月30日設立
- 「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の2つ政治団体を統合した組織
- 実体は中堅規模の新宗教の集合体
- 会員数は約3万8000人(2016年時点)
- 全47都道府県に本部がある
- 会長は空席
- 事務総長は椛島有三
成り立ち
1970年、椛島有三(かばしまゆうぞう)や百地章(ももちあきら)などの「生長の家・学生会全国総連合(生学連)」のOBが「日本青年協議会」という政治団体を結成した。
1974年、臨済宗円覚寺派の朝比奈宗源が神道・仏教系の新宗教に呼びかけ、神社本庁や生長の家などが中心となり「日本を守る会」を結成した。
1978年、元号法制定を目的とした「元号法制化実現国民会議」が結成された。翌年の1979年元号法が公布施行され、組織の目的が達成された。
1981年、明治神宮権宮司の副島廣之や黛敏郎らは憲法改正運動を新たな目的として「元号法制化実現国民会議」の組織は「日本を守る国民会議」に改変された。
1997年、自民と公明の接近に影響されて日本会議が設立された。日本会議は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の2つの政治団体を統合したものだが、これらの支持母体は前述したような新宗教である。
創価学会と日本会議
創価学会は戦後民主主義的な価値観が強く、日本会議を構成する新宗教とは政治思想が異なる。創価は復古的な価値観をもつ清和会とは相性が悪いのだ。
それでも公明党は「国政選挙における多数党を形成し、その一角を担う」ことを目指して、いくらか考え方が近い保守本流の経世会・小渕恵三政権との連立を志向した。
日本会議の実体とは、このとき自公接近に危機感を抱いた中堅規模の新宗教の集合体である。彼らは旧統一教会とともに自民党の政権運営に影響を与えているとされる。
旧統一教会と反共勢力
1954年、創始者である文鮮明が韓国のソウルで旧統一教会を設立した。そして1960年代、朴正煕の軍事政権下で旧統一教会は大きく拡大した。
旧統一教会の組織拡大の背景には米国の極東戦略があった。東西冷戦が深刻化する中で米国は反共の盾として日本の経済復興を急がせ、韓国を精神的支柱に選んだ。
戦後日本では信教の自由が保障されたため、国家権力の宗教への介入は影を潜めていた。また次のような理由からか、徹底した反共勢力が生まれにくい状況だった。
- 新憲法の体面上、日本共産党の合法化を撤回することが出来なかった
- 戦前日本の知識階級でもマルクス主義に傾倒する者も多かった
一方、韓国は反共勢力の醸成されやすい土台が社会につくられた。
- 朝鮮戦争で国土が破壊され、北朝鮮や共産主義者への警戒心が国民に強く残った
- 北朝鮮に財産を接収され南に逃げてきた旧ブルジョワ階級が多数存在した
韓国は独立後、米国の庇護のもと軍事政権が樹立された。韓国は強権的な国家権力による社会への介入が日本よりもはるかに容易だった。
そして経済的な反共支柱を日本、精神的な反共支柱を韓国とし、米国を頂点とした東アジア反共体制を確立した。その韓国の中心こそが旧統一教会だった。
参考:『古谷経衡著/シニア右翼』