1960年代なかば、全米を熱狂させたロックバンド『The Doors(ドアーズ)』。
そのボーカリストであるジム・モリソンは逮捕されること数回、観衆を煽っての乱闘騒ぎや、言葉で説明するにはあまりにも卑猥すぎるステージアクションで有名なロックスターであった。
バンドの中心的人物だったジム・モリソンは6枚目のアルバムを発表後、とつぜん電池が切れたかのようにバンドを休止し、パリへ移住すると、バスタブの中で亡くなった。
ロックスターの死には、いつも様々な疑惑がつきまとう。それはジム・モリソンも例外ではない。なにせ彼も27歳でこの世を去っているのだ。
ジム・モリソンとは
- ジェームズ・ダグラス・モリソン(1943年12月8日~1971年7月3日)
- アメリカのロックバンド「The Doors(ドアーズ)」のボーカリスト、ソングライター、詩人
- 米・ローリングストーン誌の選ぶ「史上最も偉大シンガー100人」で第47位
- バンド活動とは別に数冊の詩集を発表している
- 都市伝説「27クラブ」の会員
- 1971年1月、アルバム「L.A.ウーマン」のレコーディング後、休養および著作に専念するためパリへ移住
ジム・モリソンの死因
モリソンの死には事件性がないとしてパリ警察は検視をせず、自然死として処理。
- 日時:1971年7月3日
- 場所:パリのアパートのバスタブの中で亡くなっているのを発見された
- 死因:心臓麻痺
- 第一発見者:恋人のパメラ・カーソン
フランスへ発つ直前のジム・モリソンは体重も増え、相変わらず酒もドラッグもやめられずにいた。
- 体重が増加
- チェーンスモーカーになる
- 酒に溺れていた
- ドラッグもやめられず
- 持病の喘息の薬も飲んでいた
モリソンの死の原因として考えられるのは次の3つの説。
- ドラッグ説
- 偽装死説(生きている)
- FBI関与説
ドラッグ説
恋人のパメラ・カーソンは風呂場で意識を失ったモリソンを発見すると、すぐには救急車を呼ばずにまず友人たちに電話をかけた。
パメラの証言から薬物の過剰摂取が死の原因だとも考えられている。ジムはコカインと間違えて濃度の高いヘロインを服用して死亡したという。
その後の1974年、パメラ自身もヘロインの過剰摂取によりロサンゼルスで亡くなっている。
マリアンヌ・フェイスフルの告白
かつて、英国のロックバンド、ローリングストーンズのミック・ジャガーの恋人だったマリアンヌ・フェイスフル。
彼女は、モリソンに致死量のドラッグを提供した人物は自分の元恋人だったと告白している。
マリアンヌは事件当時、ロックスターに極上のドラッグを提供する売人として知られていたジャン・ド・ブリドイという人物と交際しており、パリに滞在していた。
ブリドイは、米国の女性ロックシンガー、ジャニス・ジョプリンが死亡した夜にもヘロインを提供していたとされる死の商人ともいえる人物。もちろん、ジャニスも27クラブの会員だ。
偽装死説
ジム・モリソンが死んだことを疑う人もいて、死因は心臓発作以外の何かではと考える者もいた。
恋人のパメラ・カーソン以外に彼の死を実際に見届けた者はいない。死亡証明書が発行されたあとも、友人や家族でさえジム・モリソンが本当にこの世を去ったのか信じられなかった。
モリソンと契約を結んでいた音楽関係者たちは、彼の死が偽装ではないのかと勘繰っていたという噂もある。
もし、彼が生きていたら責任問題に発展しそうな問題があり、その責任から逃れるために自らの死を演出したのではないかというのだ。
また、モリソンは日頃から名声を捨てたいと語り、音楽活動から引退したがっていたという。だから偽装死は、彼の願いを叶える唯一の方法だったとも考えられるのだ。
死体を確認することは不可能
モリソンが死亡したことを証明するために死体を掘り起こすのは事実上不可能だろう。
家族の同意が必要なうえ、フランスの枢機卿7名(カトリック教会)の許可を得なければならない。枢機卿たちは発掘の拒否権をもっていて、この類の申請は却下することで有名なのだ。
モリソンはパリ東部にある「ペール・ラシェーズ墓地」に眠っている。彼は、この場所であれば追求をかわせると判断し、非現実的な計画を実行に移したのだろうか。
モリソンが埋葬されて1週間以上たってから、パメラ・カーソンはユナイテッドプレスの記者にこんな風に話していたとか。
「ジムは今、パリ郊外の特別クリニックで療養中なの」
FBI関与説
ジム・モリソンの謎めいた死にFBIが関与しているとする説がある。
ジム・モリソンはアメリカにいる間、FBIの監視下にあった。当時のFBI長官は、あの悪名高きJ・エドガー・フーバーだった。フーバーのファイルやメモには「モリソンが大混乱を巻き起こそうとしている」と記されていた。
FBIは暴動を起こしたり、若者にドラッグを広めるたりする人物や破壊分子と接触しそうな人物に当たりを付けており、モリソンもそれに該当する要注意人物としてマークされていたとしてもおかしくはない。
あとがき
ジム・モリソンの過激なパフォーマンスとドラッグやアルコールにおぼれる破滅的な生き方は、のちの世代のロックミュージシャンや若者たちのライフスタイルに影響を与え、アメリカ社会にドラッグ、アルコール、ロックンロールを浸透させるのに一役買った。
音楽とドラッグにより若者を堕落させ、保守的な慣習が壊れていくさまは、ロスチャイルド家の息が掛かったタビストック研究所とアドルノがビートルズを使ってやろうとした事と酷似している。
ドアーズを発掘した米国の音楽プロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドはドアーズが発表した5枚のアルバム制作に関わったことで知られている。
最終的にロスチャイルドはバンドメンバーと意見が合わなくなり、彼らがセルフプロデュースを望んだこともあり、最後のアルバムとなった「L.A.ウーマン」の制作にも参加せず、ドアーズのプロデュースから撤退した。
ロスチャイルドの手を離れた1971年モリソンは他界し、1973年ドアーズも解散している。