政治とは何か、この問いの回答はさまざまあるだろう。それは永田町(国会)や霞が関(官庁)の仕事だけを意味するものではない。
だが政治とは私たちの日常生活そのものである、と言われてもいまいちピンと来ない人の方が多いかもしれない。今ここで取り上げようとしている「政治」とは次のような状況のことを指す。
「何者かが権威として現れ、人々がその権威に服従すべきだと考える状況」
日頃、新聞やニュースで取り上げられる「政治」と私たちの日常に潜むもの。そのどちらにも権威と服従という問題が関わっている。その意味では、政治とは日常的な出来事ともいえる。
- 一般的な政治:国会内での出来事・日米などの国家間における権威と服従の問題
- 私達の日常にある政治:企業や学校・家庭内に存在する権威と服従の問題
ここでは私たちの日常に潜む「政治」を取り巻く「権威と服従」、「空気や同調圧力」といった事柄について考えてみたい。
権威とは
権威。それは「私たちが自発的に服従したいと思うような存在」のこと。もっとも分かりやすい権威の例としては、「総理大臣」や「大統領」などが挙げられるだろう。
しかし、ここで取り上げる権威とは政府や国際政治を舞台とするものではなく、もっと身近にあるもの。
例えば、あなたが誰かのことを「偉いなあ」と思い、その「偉い人」の言うことに従うとき、あなたとその「偉い人」の間には「政治」という現象が出現している。
権威と服従
権威が存在するところでは、権威に対して服従が求められる。あなた自身が誰かにとっての「権威」として振る舞うこと以外、あなたも誰かの権威に服従することが求められているはずだ。
私たちの日常にある権威とは、次のようなもの。
- 家庭では親
- 学校では教師
- 職場では上司
権威に対して人々が服従するとき、そこには秩序が出来上がる。「服従」とは社会秩序を保つための土台のようなもの。権威の立場からすれば、人々が大人しく従ってくれれば、秩序を維持するのは簡単だ。
そのため、「従順であること・服従することは良いことだ」と権威の立場にある者は決まって主張するものだ。特に日本人は権威主義に忠実であり、秩序を重んじる傾向が強いようである。
教育と服従
文化の違いか、歩んできた歴史の違いなのか、国によって教育に求めるものも変わってくる。
- 日本人の親「先生の言うことをよく聞きなさい」
- アメリカ人の親「先生によく質問しなさい」
例えば、多くの日本人の親は子供に「先生の言うことをよく聞きなさい」と言う。この「言うことを聞く」というのは、「先生の話に注意深く耳を傾ける」という文字通りの意味ではなく、「先生の指示に従いなさい」ということを意味している。
- 言うことを聞く=先生の指示に従う
アメリカ人の親が学校で何かを理解してくることを子供に求めるのに対し、日本人の親は無意識的にせよ学校で先生に服従するように子供に指導する。
この事例をもって、どちらが良い悪いと判断する気はないが、日本人が服従しやすい原因は、こんなところにも隠れていそうだ。
空気と同調圧力と大人の態度
服従に関しては、日本はさらに特別な事情がいくつかある。そのひとつが「空気」である。空気とは定義するのが難しい概念だ。言ってみれば、その場の雰囲気とかムードといったものだろうか。
空気=特定の誰かの意思決定なしに、ある意見や考え方がその場を支配すること
それは、特定の誰かがハッキリと意思決定したわけでもないのに、ある意見や考え方がその場を支配しているようになること。または、そこにいる者が皆そう思い込んでいるような状態のこと。
昨今の新型コロナ騒動においてもマスク・ワクチン問題などが発生した。空気や同調圧力という言葉が飛び交い、未だに多くの議論や分断、被害を生み出している。
空気について
過去に日本は「真珠湾攻撃」でアメリカと戦争を始めたが、戦争開始のきっかけは一説には「空気に流された結果だ」といわれている。つまり、上層部で話し合ううちに何となく雰囲気で戦争へ突入したというのだ。
ここまで重大な政治的決定でなくても、「空気」は日本社会のあちらこちらで日常的に支配力を発揮している。数人で食事に行く際にも、それぞれが「〇〇が食べたい」とハッキリ自己主張することは少ない。
「なんでもいいよ」とか言っているうちに、その場の雰囲気で何となくファミレスにしようとかラーメンにしようなどと決まっていく。それは、その場のみんなが「空気」に支配された結果だといえる。
同調圧力について
「空気」に加えて、日本人に服従を強いる要因として「同調圧力」というものがある。昨今、日本人の9割が「遺伝子ワクチン」を打ったという。みんなと同じでなければならない。そんな不可思議な雰囲気が日本社会を覆っている。
- みんなと同じ行動をとらなければならない
- みんなと同じ意見でなければならない
多くの人々が同一意見であるかのような雰囲気が出来上がってしまうと、自分だけ違う意見を主張するのは難しい。そんな時は「同調圧力」が働いているといえる。
しかし、性別も性格も違う人たちがみんな同じことしか考えないというのは馬鹿げている。むしろ、みんなの意見が違っていても不思議はないはずなのに全員一致でなければならないと考えるのは、それが保つべき秩序ということ。
だから、異論や反論を唱えるのは「迷惑をかける」ことだと考えられがちだ。このようなことは毎日のように生じており、歴史的な事件を見ても同様のことがいえるだろう。
反戦運動に身を投じた東京帝大教授
1937年に日中戦争が勃発すると、東京帝国大学経済学部の教授だった矢内原忠雄は、好戦的な日本政府の政策を批判する言論活動を開始した。
当時、国内情勢は戦争一色となり、全国民は戦争に協力するのが当然というような「同調圧力」が高まっていた。政府関係者や民間右翼思想家だけでなく、大学の同僚たちまでもが矢内原氏の反戦的な活動を攻撃した。
その結果、矢内原氏は教授を辞職する羽目になった。興味深いのは彼の辞職理由である。大学と同僚に「迷惑をかけた」というのが、その理由だった。日本社会では支配的だと思われる意見には従わなければならない。
みんなが同じ意見でなければならない、という「同調圧力」が高まってくると、異なる意見の持ち主は排除されてしまう。多数派に迎合することを強く求められているのが日本社会の特色である。
- 空気の場合:その場にいる複数の人びとに何となく従う
- 同調圧力の場合:不特定多数の顔の見えない人々が共有する同一意見に従う
この場合、何か明確な理由があって誰か特定の人物に従うのではない。「空気」の場合は、その場にいる複数の人々に何となく従い、「同調圧力」の場合には、不特定多数の顔の見えない人々が共有すると思われる同一意見に従うことが求められるのだ。
大人の態度
自分個人の立場を強く主張し、多数派に抵抗することは日本社会では「大人ではない・大人気ない」と評される。自己主張が強く、反抗的なことは子供じみているというのだ。
人間の発達段階には「反抗期」というものがある。他人の指示に対して抵抗する態度は幼児期や思春期にも見られる。このように、反抗しなくなり従順になることが「いっぱしの大人である」と言いたげだ。
そうした認識からか、日本社会では「長いものに巻かれること」を良しとする傾向がある。
あとがき
私たちの日常生活では服従すること、従順であることを求められる場面が頻繁にある。しかし、服従すること、従順なことは本当に良いことなのだろうか。
心理学者のミルグラムの実験では、ごく普通の人が権威に従順に従うことで一般的な道徳観念では明らかに間違っているような加害行為をおこなってしまうことが明らかにされた。
権威に従うことが必ずしも道徳的だとは言えない場合があるのに、なぜ人々は従順であろうとするのか。まったくもって不可思議のなせる業である。
私たちは、「従順」が何であるかについて、何も知らない。その上、私たちは、「従順」によって、現代の「奴隷」や「服従者」となっているのに、そのことに何も気づかない。私たちは、もはや「自分を縛る鎖」を感じられなくなっている。だからこそ、「隷属することに対するたたかい」、「従順になることに対するたたかい」は、むずかしいのである。
アルノ・グリューン著/『従順という心の病い』
参考:将基面貴巳著/『従順さのどこがいけないのか』、スタンレー・ミルグラム著/『服従の心理』、アルノ・グリューン著/『従順という心の病い』