日常の話題
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【12月6日】
12月の凍てつくような寒さの中、熱い熱いれいわ新選組代表選の討論会が繰り広げられている。候補者のそれぞれの主張は甲乙つけ難く、いまだに投票先を決めあぐねている。これまでれいわは、やってるフリだけで国民を欺き続けている与野党に喝を入れるつもりで敢えてキツい言葉で批判してきた。そして、れいわの党是である消費税廃止や減税、国民目線の政策の必要性をずっと訴えてきた。だが国政選挙では負け無しとはいえ、党勢拡大のスピードはステップバイステップで歯がゆくもある。本気の野党が不在の国会で孤軍奮闘、喧嘩上等で疲弊する国民の怒りの代弁者となり懸命に訴えてくれた。その熱い思いはしっかりと支持者には伝わっているし、感謝しかない。だが更なるれいわの飛躍を望むのなら、今のれいわには、ある種の柔らかさ柔軟さのようなものが必要なのだろうか。上手く言えないのだけど、いい意味での曲者みたいな感じが出せればと思ったりする。各所でバリアフリー化を進めたり、実際にはいろいろとやっているのに、それが世間には中々伝わっていないように思える。テレビや新聞などのメディア露出が少ないせいもあるのかも知れないが、れいわはただ騒いでいるだけで何もやっていないというイメージが先行している。もしくはネトウヨなどに、そのようなデマを拡散されてしまっている。そのイメージを払拭することが党勢拡大の近道ではないのかと思う。これからは他党と交渉して上手く協調して、法案を通すなどのハッキリと目に見える形での実績作りが不可欠になってくるだろう。それは決して仲良しごっこや長いものに巻かれろという意味ではなく。布団の中で真っ暗な天井を見つめながらそんな思いを巡らせていた。気づくと起床のアラームがスマホから鳴り響いている。6時半になっていた。今回の投票先は「やはた愛さん」と「さかぐち直人さん」の2名に絞ることにした。明日の日曜日、このどちらかに投票しようと思う。
第2次安倍政権の誕生後、国内メディアの沈黙をよそに、外国メディアは日本会議を「極端な右派」「反動的グループ」(米CNN)、「極右ロビー団体」(豪ABCテレビ)、「強力な超国家主義団体」(仏ル・モンド)などと評し、安倍政権との関係については「(日本会議が)国策を練り上げている」(豪ABC)、あるいは「安倍内閣を牛耳り、歴史観を共有している」(米CNN)と分析した。これをどう捉えるべきか。
日本会議が「反動的」であり、「極右」であり、「超国家主義」だという指摘は、政治的立場によって多少の異論はあるとしても、おおむね的を射たものだと私は思う。組織の理論構築や事務総括の中枢を生長の家出身者たちが担い、神社本庁を筆頭とする全国の神社界や右派の新興宗教団体が手厚く支援する日本会議の実態は、端的に言って宗教右派組織であり、その訴えは相当に復古的で戦前回帰的である。だから戦後体制を徹底して敵視し、憎悪すらし、転換や転覆をはかろうとする様は十分に「反動的」であろう。
また、その主張はしばしば近代民主主義の大原則を平気で踏みにじる。天皇を絶対視し、国民主権を軽視する。政教分離の原則など屁とも思わない。根っこにはエスノセントリズム=自民族優越主義の影すら垣間見える。これを「極右」「超国家主義」と評するのはむしろごく自然なことでもあろう。
出典:青木理・著『日本会議の正体』
