【韓国政治と陰謀論④】全斗煥大統領と政権奪取の陰謀論
全斗煥は第11代−12代大統領(任期1980-1988)を務めた韓国の軍人あがりの政治家である。最終階級は陸軍大将。
この全斗煥大統領も政権奪取と政権延命のために陰謀論を利用した一人である。
朴正煕暗殺事件と政権奪取の陰謀論
朴正煕暗殺事件は、1979年10月に朴正煕大統領が宴席で腹心に射殺された事件である。
これは激化する民主化運動への対処をめぐって政権内で起こった対立が原因だったとされている。この事件を利用して政権を奪取したのが当時、保安司令官だった全斗煥だった。
全斗煥は「盧載鉉国防長官や鄭昇和参謀総長がこの暗殺を仕組んだ黒幕である」という陰謀論をでっち上げて、この二人を令状なしに不法逮捕した。
光州事件と内乱陰謀論
光州事件は、1980年5月、光州市で市民と学生が民主化を求めて起こした全斗煥の軍事クーデターへの反対運動である。非常戒厳令が宣布され戒厳軍は抗議デモを武力で鎮圧した。
内乱陰謀論は、金大中(のちの第15代大統領)が「内乱を起こすために光州事件を企てた」とするもの。このでっち上げにより金大中は逮捕後、死刑を宣告されるが、その後、刑が停止されアメリカへ出国している。
1980年9月、全斗煥は第11代大韓民国大統領に就任し、憲法改正を実施すると翌1981年には第12代大統領に選出された。
ラングーン事件と自作自演陰謀論
ラングーン爆弾テロ事件は、1983年10月、訪問先のビルマ(現ミヤンマー)で全斗煥大統領と閣僚が狙われたテロ事件である。
この事件で閣僚4人を含む韓国人17人とビルマ人4人が死亡、47人が負傷した。テロの犯人とされる北朝鮮の軍人2人はビルマ政府に逮捕され、ビルマは北朝鮮との国交を断絶した。
これは明らかに北朝鮮の工作員によるテロだったが、北朝鮮はこれを認めず「全斗煥政権による自作自演」という陰謀論を主張していた。
大韓航空機爆破事件と自作自演陰謀論
大韓航空機爆破事件は、1987年11月にアラブ首長国連邦のアブダビからソウルに向かって飛び立った大韓航空機が北朝鮮の工作員によって爆破された事件である。
その後、爆発物を設置した工作員2人がバーレーン当局に拘束された。この事件は翌年に行われるソウルオリンピックを妨害するために北朝鮮が起こしたテロであることが判明する。
北朝鮮はこれを認めず、この事件を「南朝鮮旅客機失踪事件」と呼び、韓国による陰謀だと決めつけた。
全斗煥大統領は強引な政権奪取と非民主的な政権運営などで国際的なイメージがあまり良くなかったので、このような陰謀論めいた北朝鮮の主張も一部では支持されていた。
また、大韓航空機爆破事件が大統領選挙の直前に起こったことから「北朝鮮に対する恐怖を煽り、与党を選挙で有利にするための自作自演テロである」という陰謀論も語られた。
参考:『社会分断と陰謀論 虚偽情報があふれる時代の解毒剤』/文芸社

